【エッセイ】父親じゃない僕に赤ちゃんを抱っこさせないでくれェ

と、思っちゃったよね。どうしても。

もう5年前の話だけど。

「わからん」と「こわい」でいっぱいになり集中できない

なんで抱っこさせないで欲しいかというと、「わからん」と「こわい」があるから。

赤ん坊の抱っこの仕方って、父親になるまで知る機会なくない?

赤ん坊の抱っこの仕方って、知る機会なくない?

義務教育で教えるわけないし、大学でも教えるわけない。保険の授業でも性教育はあれど、赤ん坊の抱っこの仕方は教科書にすら書かれてすらいない。で、社会に出てからも助産師やら小児科医などの医療現場でもない限りは仕事場で知る機会もない。

現実的に機会があるとすれば、甥や姪ができた時くらいか。

そんなわけで、僕の想像力の及ぶ範囲では、少なくとも男性が赤ん坊の抱っこの仕方を知る・学ぶ機会はない。そしておそらく女性もほぼ同じなのではないだろうか。

一時的にでも他人の子供の命を預かるのがこわい

100歩譲って、というわけではないが、「抱っこの仕方がわからない」のなら調べたり人に訊いたら済む話だ。それでも残ってくる問題が、「こわい」という感情。

一時的にでも他人の子供の命を預かるのが、僕はこわい。というか実際にこの状況になったときにこわかった。会社の先輩が連れてきていて、「抱っこしてみ」と言われたときだ。「頭が一番重いから頭を支える必要がある」というのをかろうじて知識として知っていたのでそれだけは意識したが、それ以外のことがわからない。

しかも屋内ではなく公園で、立っているときに渡されたのだ。

こう言ってはなんだが、勘弁してほしかった。外から眺めていてかわいいとは思うのだが、抱っこさせられるとそれどころじゃなくなる。「万が一にでも落としたらマジでシャレにならん」でアタマがいっぱいになる

「かわいいでしょ」というのを共感してほしいのであればこそ、僕に抱っこをさせないでくれと、思ってしまった。

課題の分離

ここまでだけなら単なる僕の体験談なのだが、ちょっとだけ話を掘り下げる。「課題の分離」という観点からこの話を見る。

「課題の分離」を実践するための3つのポイント

2020.05.31

僕の課題

まず「抱っこしてみ」と言われた僕の課題。いや、まぁそれがさっきすでに説明した「わからん」と「こわい」の2つだ。

相手の課題

次に、「抱っこしてみ」という親たちの課題。まぁこれ、父親ではない僕の勝手な想像だから間違ってる可能性もあるけど。

1つ目は、かわいい我が子のかわいさを、抱っこさせることによって他の人にもわからせてやりたいという欲求。

2つ目は、かわいい我が子を独り占めしているようで申し訳ないから、目の前の知人にも少し分けてやろうという慈悲。

この2つじゃないかな〜〜〜〜〜と思っている。そしてこれら2つはまぁあって当然というか、そのスタンスでいいと思ってるのよ。

次にそうなったら気が変わるかもしれんけど

いや、いいんよ。「抱っこしてみ」に罪はないのよ。

僕が何を言いたいかというと、僕の課題と相手の課題は別だということを前提として、「抱っこしてみ」に対してNOと言う僕を許してくれということ。気が向いたりその場の空気を読んで抱っこしたとしても、僕はその子を「かわいいね〜」と思う余裕はおそらくない気がしていて。

と言いつつ、慣れないながらでも数分間も抱っこしていると「かわいいね〜」ってなるかもしれないけどね。

チャイフ

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