僕が大事にしている価値観(後編)

こんにちは、チャイフ(@chaif123)です。

僕が所属していたオンラインコミュニティ「ライフエンジン」(2023年にサービス終了済み)のメンバーのひょんな問いかけから、価値観について考える機会がありました。

ということで今回は、僕が大事にしている価値観について話していきたいと思います。

それでは!

内省の始まりは『ライフエンジン』メンバーの問いかけが発端

僕が所属していたオンラインコミュニティ「ライフエンジン」(2023年にサービス終了済み)のメンバーの1人である、きのさん(@kinomegumi21)から、こんな問いかけがありました。

あなたが大事にしていること(考え、価値観、主義)を教えてください!

きのさんは漫画家の方で、キャラ作成の参考にしたい、ということで、僕もとりあえず回答はしました。

その後、思いがけず多くのメンバーの内省を助けたようです。かきぴーさん(@kakipy722)が、このようなブログ記事をあげていました。

これを読んで、「今の価値観だけでなく、過去の価値観にも目を向けて見て、変化を書いてみるのも面白そう」と思ったので、改めて記事に起こしました。

アイデアのタネをくれたお2人に感謝です(˘人˘)

今、大事にしている価値観

今、大事にしている価値観についてです。

前回、3つのうち2つについて挙げたので、今回は3つ目の価値観について述べていきます。

 

強制がないこと

第三に、強制がないことです。

これが最も抽象度が高くあらゆることに応用でき、かつ最も重視している価値観です。

人に対してもなるべく強制をしないように心がけ、自分が強制を感じていないかどうか?を常に自問自答しています

課題の分離

「強制がないこと」という表現は、アドラー心理学の概念が対話形式でわかりやすく書かれている書籍『嫌われる勇気』に出てくる「課題の分離」という考え方が大きく影響しています。

簡単に言うと、自分にコントロールできない「相手の課題」と、自分がコントロールできる「自分の課題」をハッキリ切り分けて考えるということです。

これが、下に続くあらゆる考え方の基礎になっています。

「課題の分離」を実践するための3つのポイント

「協調性」という呪いの言葉を捨てた

前回の記事で、「人に合わせること」を大事にしていた、という話をしました。

これを一言で表した「協調性」という言葉は本当に気をつけないといけない言葉です。

  • 「協調性がある=ヨイコトである」

という価値観は、間違ってはいません。

間違ってはいませんが、協調性を重視しすぎて自分の優先順位を下げては絶対にいけません。ここのバランス感覚を失わないことが重要です。

「人に合わせる」を当たり前にしてしまっている人からすると、かなり意識して訓練・実践する必要があります。

【悲報】「なんでもいいよ」を言い続ける弊害とは何か?悪影響しかないこの言葉を解説する

暗黙の了解・無言の圧力に屈しないこと

いくつかの記事でも述べていますが、日本は最大の「ハイコンテクスト文化」です。

一言で言えば、「察する文化」です。

違う言い方をすれば、「暗黙の了解」「無言の圧力」が横行し、それが是とされている文化です。

ほんっっっっっっとうにくそくらえです。

この流れで着想した、覚えておいてほしい考え方
  • 「優しい」とか「ひどい」なんて、誰かのモノサシで測った1つの解釈でしかない
  • 自分の行動が「薄情かどうか」「ヨイコトかどうか」なんて考えても無駄
  • 自分の「正義」は必ず誰かの「悪」になる

『嫌われる勇気』という表題はまさにこれを表しています。

「嫌われないように」と気を遣いすぎても100%「嫌われない」ことは不可能なので、そもそも気を遣いすぎる必要はないということです。

前向きにポジティブに「諦める」ことが重要です。

【意外】「諦める」という、実は前向きでポジティブな言葉の語源とは?

他人に期待しない

「強制がないこと」の文脈の続きで、「他人に期待しないこと」です。

「裏切られる」というのは、「期待する」から発生する事象であり、まずもって「期待しない」ことが重要

このような文脈で使われがちな表現かなと思います。

「他人に期待しない」と聞いて「ひどい」と思われた方がもしもいたなら、全くの誤解です。

真意が伝わっていないと思いますので、もう少し説明します。

自分の予想と反する言動を相手がする可能性を残し続ける

「他人に期待しない」のも課題の分離から派生した考え方です。

「他人に期待する」という思考は、「相手の課題」にフォーカスしている状態・囚われている状態です。

自分がコントロールできない「他人の言動」を勝手に前提にしてはいけないのです。

あくまでも自分の課題にフォーカスするのです。

「相手がこのように行動するかもしれないな」と想像・予想することまではよいですが、同時に、相手が自分の予想と反する行動をとる可能性を常に残し続けるのです。

「普通こうするだろ」「当たり前だろ」というフレーズはめちゃくちゃ危険なので、自分の語彙から削除した方がいいですね。

他人に期待するのが実は一番利己的である

もう少し厳しい言い方をします。

実はこの「他人に期待する」という思考は、むしろ非常に利己的です。

なぜなら「他人に期待する」という思考は、自分の中の「当たり前」を相手に押し付けて「他人もそうあってほしい」と強制・支配しようとする思考とも言えるからです。

相手に言動の自由を許さず、自分の希望・要望・要求を強制しようとしているのです。

僕が大事にしている価値観とは真逆の発想です。

「自分の価値観」を言語化してみてはいかがでしょうか。

いかがでしたでしょうか。

今回、2記事にわたって自分の価値観を言語化してみました。

かなり軸がガチッと決まった感覚があります。

今すぐじゃなくても大丈夫です。誰かと話しながら整理してもいいかもしれません。

自分の価値観の言語化、オススメです!

それでは。

チャイフ

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です