ふと、自分って”体験”することの価値をかなり重視しているような気がしたので、つらつらと書いてみる。
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お店を人に勧めるとき、「とにかく1回行ってみてくれ」にならざるを得ない
これまでいろんな飲食店、カフェやラーメン店や居酒屋などに行ってきた中で、お気に入りのお店がいくつかある。自分が行って「とても良かった!」と思ったお店は人にも勧めたくなる。そして自分なりにそのお店の魅力を言葉にしたり、写真を見せたりして相手に伝えようとはするのだが、いまいち伝わっていなかったり、「行けたら行くわ」で終わることも多い。
これはなぜなのかと考えたとき、まぁ僕のプロモーションスキルが低いのもあると思うけど、「体験していない」という絶対的な差があるな、と思い至った。いや、行ったことない人に対してプロモーションしているのだから「体験していない」は当たり前の前提条件なのだが、それが温度差を生んでいるのだ。つまり、どれだけ言葉を尽くしたり視覚情報を与えたとしても、最終的には「とにかく1回行ってみてくれ」にならざるを得ないのだ。
「お店で食事するのって1つの体験だ」と口をついて出た
みたいなことを考えながら、同僚と話しているときにふと「お店で食事するのって1つの体験なので…」と口をついて出た。何が言いたいかというと、「お店で食事をする」という行為は、単なる「食べ物を摂取する」という生命活動ではなく、お店でのあらゆる情報を五感全てで感じる行為に他ならないな、ということだ。
- お店の外観デザイン
- お店の内観デザイン・レイアウト
- お店の明るさ
- お店の広さ
- お店の香り
- お店の空調
- お店のBGM
- テーブルの質感
- お店のメニューのデザイン
- 商品価格
- 店員さんの接客
- 提供速度
- お店の食器
- (キッチンが見える場合は料理が出来上がる様子)
- 他のお客さんの反応
これら全てをまさに五感全てで同時に、あるいは個別に感じて”体験”している。以前にスマホを全く触らずに食べたらご飯がうまかったという気づきを得たことがあるが、これに通じる話でもある。
飲食店は「まずは行ってみる」の比重が高いかもしれない
これだけ膨大な非言語情報を感じた上で人にオススメしているわけなので、自分が飲食店の店内で”体験”したことを人に伝えきれないのも無理はない。UberEatsでその味覚だけ再現しても、その店での食事体験を再現することはできない、というコメントもできる。
それを自分自身もよく理解しているからこそ、口コミや写真や外観や内観やメニューだけで判断するのはできないな、と思っているフシがある。もちろん食事となれば、胃の容量には限界がある。候補のお店が5つあった場合に、口コミや写真や外観や内観やメニューを大いに参考にして判断することにはなる。とはいえ、僕は「そのうち全部行ってみたいな」と思うし、行かずに候補から外す、まさに”食わず嫌い”はできるだけしたくないなという気持ちは比較的強い気がする。
エンタメやイベントに参加するモチベーションはどうか?
さて飲食店の話題から離れてみる。
僕はプライベートでちょくちょくライブに行く。ツアーごとにセトリ(セットリスト)はガラッと変わるし、同じツアーでも公演ごとにセトリのマイナーチェンジがあったり、セトリが同じだとしてもパフォーマンスやMCなど細かな違いがあり、同じ回はない。その”ライブ感”に魅力を感じる部分は大いにある。
またリアル脱出ゲームに行ったりもする。リアル脱出ゲームは謎解き・パズル・推理の要素があるため、基本的にリピート参加は不可で、必然的に毎回新しい公演となる。
ボルダリングも趣味で、行きつけのボルダリングジムに行くのも好きだが、初めてのジムに行くと、それはそれで「ここはどんな特徴があるのだろう?」と新鮮でワクワクした気持ちになる。
このように、何かしら「新しいこと」を体験する・浴びることに対してかなり価値を感じているらしい。
ちなみに少し前に「異次元フェス アイドルマスター★♥ラブライブ!歌合戦」の情報が発表され、アイマスをほぼ履修してない・イベントが連続してしまうなどの理由から、すぐに判断できなかった。かなり迷った。しかし、やはり「これレア体験すぎるな?」というのが申し込みを決意した決め手になった。チケットが当たるかは知らん。
体験を通して得られる情感の動きがクセになっている
この「新しいものを体験する」というモチベーションの出どころを探ってみたい。「チェックボックスにチェックを入れていくように、新しいことをどんどんやっていく」というイメージも若干あるが、そこまで「淡々とこなす」感じではない。むしろ、「その体験を通して自分がどう感じるか」が重要な気がしている。
”発見”もキーワードな気がする。初めての店や初めてのイベントでは、自分が知らない情報しかないから、何かを”発見”できる確率が高い。よく”気づき”とも言われるヤツだ。
「あ、このお店はメニューがオシャレだな」とか、そこから「何をもってオシャレだと感じたんだろう?」とか、そういうのを考えるのも好きだ。「今回のライブはステージがすごく凝っていた」とか、「幕間映像がクオリティ高かった」とか、「いつもの曲だけどパフォーマンスのレベルが上がっていた気がする」とか、たぶん何かしら”発見”がしたいんだと思う。
…“発見”とか”気づき”と表現してしまうと、どうも堅い印象を受けてしまうが、実際にはそんなまじまじと観察をしているわけではない。飲食店でもライブ会場でもリアル脱出ゲームの会場でもボルダリングジムでも、その空間と瞬間をただ楽しんでいるつもりだ。脳内ではそんな理路整然としてない。「アッ!!」「アッ!!」「アッーーーー!!」ぐらいだ。体験を通して得られる情感の動きを感じている。それを後日、あるいは場所を後にしてから人に共有したいときに、「アッーーーー!!」では伝わらないから、「今回のライブはステージがすごく凝っていた」のように言語化するだけの話だ。
で、たぶん僕は、この体験をして”発見”をした瞬間の情感の動きがクセになっているのだ。
人生は体験の連続。良い体験や新しい体験を増やしていきたい
「いつもの場所」に行くと、新情報が少ない、つまり刺激が少ない、つまり疲れないという観点もある。リラックスしたいなら「いつもの場所」に行った方がいいし、僕もよく「いつものカフェ」に行く。
ただ、ふとしたときに「初めてのカフェ」に行きたくなる。これはもう中毒みたいなもんだと思う。幸いなことに日本だけでも数えきれないほどのカフェもラーメン屋も居酒屋もあるし、エンタメコンテンツも摂取が追いつかないほどのスピードと量で創られていく。
食べ放題だ。いや、マジでそんな感覚。人生、体験ビュッフェ状態。
毎回「いつもの」でも、たまに「初めて」に手を出してもいい。ビュッフェでいつもはオレンジジュースを選んでいたとしても、期間限定のグァバジュースが気になったなら選んでみてもいいのだ。
「チェックボックスを埋める」かのように単純作業になってしまっては良くない。ビュッフェは「どれを皿に乗せるか」という選択の過程も楽しいものだ。
またどんどん生まれてくるコンテンツに追われるような、義務感で摂取するもんでもない。ビュッフェの在庫を枯らせるわけがないのだから。
自分のペースで、自分のしたいように体験を重ねればいい。
「人生は選択の連続」とはよく言われるが、「人生は体験の連続」とも改めて言いたい。ゆうて限られた時間である人生、良い体験や新しい体験を増やしていきたい。みたいな?
チャイフ
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