「嫌われる勇気」の反対は「嫌われない惰性」

こんにちは、チャイフ(@chaif123)です。

jMatsuzakiさん(@jmatsuzaki)、F太さん(@fta7)のお二人がやっている「ひらめきラジオ」で『嫌われる勇気』の反意語として「嫌われない惰性」という表現を使っていたのが非常に納得感がありました。

久々にそんなことを思い出したので、「嫌われない惰性」について考えてみたいと思います。

それでは!

『嫌われる勇気』とは

『嫌われる勇気』は、書籍の名称ですね。

アドラー心理学に基づく哲学を説く哲人と、それにアンチテーゼを唱える青年の対話形式で進んでいく、非常に読みやすい本です。

僕の人生のバイブルになっている本でもあるので、あなたがもしもまだ読んだことがないのであれば、ぜひ、いや絶対に読んでいただきたいです。

本書の中の「課題の分離」という考え方にフォーカスした記事を書いていますので、こちらもぜひチェックしてみてください。

「課題の分離」を実践するための3つのポイント

また、「課題の分離」についてはstand.fmでも9回にわたって話しているので、ぜひお聴きください。

「嫌われない惰性」とは

さて、「嫌われない惰性」という表現ですね。

誰が初めに使い始めたのかはわかりませんが、僕はjMatsuzakiさん(@jmatsuzaki)がひらめきラジオで使っているのを初めて聴きました。(どの回かはちょっと覚えていません。。。)

「嫌われない惰性」とはどういうことか、改めて紐解いていきたいと思います。

“勇気”とは”選択する勇気”である

『嫌われる勇気』には「勇気」という表現がたびたび使われています。

アドラー心理学とは、勇気の心理学です。

わたしにできることとしては、まずは「いまの自分」を受け入れてもらい、たとえ結果がどうであったとしても前に踏み出す勇気を持ってもらうことです。

ありのままの「このわたし」を受け入れること。そして変えられるものについては、変えていく〝勇気〟を持つこと。それが自己受容です。

by 『嫌われる勇気』

「変えていく勇気」という表現もあります。変える勇気とは、つまりどういうことでしょうか。

「嫌われる勇気」、「変えていく勇気」とは、つまるところ「選択する勇気」であると、僕は解釈しています。

選択とは決断である

ここでいったん『嫌われる勇気』から離れて、「選択」という言葉について考えてみます。

【選択】:多くのものの中から、よいもの、目的にかなうものなどを選ぶこと。

by Weblio 辞書

「選択」には「選択していく(選択肢の中から選ばないものを排除していく)過程」も含まれているような気がしますが、最終的なアクションは「決断すること」です。

決断とは、何かを捨てること

「決断」とは、決めて「断つ」ことです。断つ、つまり捨てること。

重要なのは、何かを選択するにあたって、何かを捨てる必要がある、ということです。この「捨てる」というアクションは今あるものを失う行為に他ならず、ここが”勇気”という表現に関連してきます。

「何かを捨てられない」のが惰性

テーマに戻ります。

「嫌われる勇気」の反対は「嫌われない惰性」、という話でした。

嫌われる勇気=選択する勇気=決断する勇気=何かを捨てる勇気。

「何かを捨てる勇気」がないということは、「何かを捨てられない」ということです。言い換えれば、現状維持を繰り返してしまう、ということです。

つまり、惰性ですね。

現状維持により、可能性の中に生きられる(皮肉)

『嫌われる勇気』にこんな一節があります。

わたしの見立ては違います。どうして彼女は赤面症になったのか。どうして赤面症は治らないのか。それは、彼女自身が「赤面という症状を必要としている」からです。

「だって、あなたは赤面症があるおかげで、自分や世の中への不満、うまくいかない人生を納得させることができている。これは赤面症があるせいだ、とね」

by 『嫌われる勇気』

確かに、何かを変えて何かを得ることによって、代償として何かを失うかもしれません。逆に言えば、何かを変えずに何も得ないことによって、何かを失わずに済むかもしれません。

つまり、現状維持を続けることによって、「可能性の中に生きることができる」。これは報酬なのです。えげつない皮肉だとは思いますが、「何かを変えられない」人は、自ら選んでそうしている、というわけです。

「捨てない」という選択すらできないケース

(by 『賭博黙示録カイジ』©️福本伸行)

急に話が変わりますが、『カイジ』という作品中で、命を落とすかもしれない「鉄骨渡り」をするかどうかの決断を迫り、迷う人たちに対してトネガワという男がこのように言います。

世間はおまえらの母親ではない。おまえらクズの決心をいつまでも待ったりはせん・・・ by『賭博黙示録カイジ』

さすがに表現は辛辣なのですが注目すべきは、言われている側の人間たちが「迷う」で止まっているところです。鉄骨渡りを”しないという選択”すらできない人間たちに、トネガワがボロクソに言ってるシーンですね。

このように、YESともNOとも選択できないことは普遍的に起こりうる、と思っています。「早く決める」ことが正義ではないですが、「自分は今選択できていない」というのを自覚することは非常に有意義だと思います。

自分の中に判断基準がないと、選択できないことがある

はい、話戻ります。

選択できるかどうかは、いわゆる決断力があるかどうかに関係してきます。誤解してはいけないのが、決断力のあるなし=能力のあるなしではありません。

決断力があるかどうかは、自分の中に判断基準があるかどうかで決まります。つまり、『7つの習慣』でいうところのミッション・ステートメントですね。

決断力を上げるための方法については、こちらの記事で紹介しています。

ひらめきラジオ20180423「『決断力』を鍛えるには?」

僕が勇気を出したシーン

『嫌われる勇気』というだけあって、「他者から嫌われる可能性がある決断をできるか」という人間関係に関する悩みにフォーカスされています。

他者との関わりが存在する場面で、「何かを断ち切る」というのは特に勇気が必要です。

さて、僕が「アレは勇気を出したなぁ」と思える具体例をいくつかご紹介しましょう。

「今日」を強制終了する勇気

「今日」を強制終了する勇気
  • やり残した感のある今日1日を捨て、夜更かしをせずに布団に入って寝る
  • やり残した感のある就業時間を捨て、残業をせずに帰宅する

これらは他者との関わりではなく自分との闘いですが、非常に勇気が必要なのでラインナップに含めました。

どこかのタイミングでこの「寝る」とか「帰る」という決断をしないと、今日が永遠に終わりません。もはや毎日、勇気を振り絞って寝たり帰ったりしています。

ちなみに、「夜更かしせずに寝る」や「残業せずに帰宅する」ということの効果について、タスク管理の文脈に繋げて書いた記事がこちらです。

残業、夜更かし、休日出勤があなたの時間を減らしているかも?

zoomを早めに退出する勇気

僕が所属しているオンラインコミュニティ「ライフエンジン」では、ときおり複数人でzoomで話すことがあります。マイクをオンにして口頭でコミュニケーションをとることもあれば、チャットだけでコミュニケーションをとることもあります。

いずれにせよ、「この楽しそうな雰囲気のzoomを抜けるタイミングがない」「自分自身が楽しんでいるのだからzoomを抜けたくない」という気持ちと、「タスクを進めなければ」「寝る準備をしなければ」という気持ちとの葛藤が起きます。「そろそろ抜けます〜」と言って退出すればいい”だけ”なのですが、これは勇気が必要ですよね。

僕はどちらかと言えばきっぱりと抜けられる方だと思われていると思いますが、「できる」「できない」ではなく、毎回まさに「嫌われる勇気」を振り絞ってzoomを退出しています

お誘いを断る勇気

先輩からの飲みのお誘いに対して、「行けません」ではなく「やめておきます」と回答したことがあります。特に理由はないが、自分の気持ちが前向きにならないので、「やめておきます」と選択しました。

「体力や精神が良好な状態でないと飲み会の誘いを断ってはいけない」「タスクが溜まっていないと飲み会の誘いを断ってはいけない」「明日の朝が早くないと飲み会の誘いを断ってはいけない」なんてルールはないですよね。

「体調万全で、タスクもなくて、明日も特に予定はないけど飲み会の誘いを断る」という選択はしてもよいのです。

広い意味で、「他者からのお誘いを断る」というのはすべからく「嫌われる勇気」だと思います。飲み会のお誘い、イベントのお誘い、仕事のお誘い、etc.

人からのお誘いを断る行為は、人からの好意を蔑ろにする行為なのではないかと錯覚してしまいます。しかし、そうではありません。人からの好意は「ありがとう」で受け取れます。人からのお誘いを受けるかどうかは、あなた自身の課題です。

ちなみにこちらの記事で、惰性になっていた他者との関わりを断ったエピソードを書いています。

通勤路を1本ズラしたら人生が変わった話

勇気を持って選択することでのみ人生が変わる

いかがでしたでしょうか。

「今に留まる」という同じ道を歩くとしても、以下の2つは大きく異なります

「今に留まる」2つのパターン
  • 「今がベスト」と思って「現状」を選ぶのは勇気
    • 「このままじゃいけない」と思いつつ「現状」に甘んじるのは惰性

これは個人の問題にも当てはまるし、他者との関わりにも当てはまります。

「人生は選択の連続」とはよく言われます。しかしこれを本当に常に実践できている人は世界中の全人口の0.1%もいないでしょう。人間は省エネのために反復行動をとりますし、コンフォート・ゾーンから脱出することを嫌います。

この記事をここまで読んだのは「選択」ですか?それとも「惰性」ですか?

次の記事に移動しますか?Youtubeを開きますか?Twitterを開きますか?パソコンの電源をシャットダウンしますか?

今日、何時に寝ますか?明日は何時に起きますか?

今日「しないこと」は何にしますか?昨日とはなにか違うことをしますか?

 

そうして日々の行動を”選択”し、”選択を自覚”し、続けることによってのみ、人生が変わると僕は信じています。

それでは。

チャイフ

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