【エッセイ】「やりたいことを探す」じゃなくて「何に時間を使うか」と考えたらいいらしい

『世界は夢組と叶え組でできている』のとある目次

世界は夢組と叶え組でできている

…というタイトルの本が一時期話題になっていた。

調べてみたら、2020/3/19発売らしい。まだ読んでないし読む予定も今のところないのだけれど、Amazonで「試し読み」ができるので、目次だけを追ってみた。

その中で、とある目次に目が止まった。

 

 

 

「やりたいことを、『何に時間を使うか』で考える」

 

「なるほどな」と思った。

この本を読んでない状態で言及していくのは1ミリくらい気が引けているが、気にせず話していくことにする。

「やりたいこと」はよくわからん

僕も、「やりたいことがわからない勢」の1人だと思っている。そういう勢力はあって、一定数いる…というかそういう人ばっかりだと思っている。

すでに幾度となくゲシュタルト崩壊を繰り返している”夢”というものに対して、最近また向き合おうとしていたりしている。

「やりたいこと」とか”夢”とかいうものはあまりにもふわっとしていて、どうやって決めたらいいかさっぱりわからない

どうやって?そういえば今思い出したけど、『世界一やさしい「やりたいこと」の見つけ方』っていう本もあったな。これは半分くらい読んだところで止まっていた。また読み返そうと思う。思い出せてよかった。

さて。

先ほど紹介した『世界は夢組と叶え組でできている』という本も、そんな「やりたいことがわからない勢」にとっての1つの答えなのかもしれない(読んでない)。

このタイトルを見るに、

  • 「『やりたいこと』は見つけられていないけれど、人の”夢”を応援することもできる」
  • 「人の『やりたいこと』を応援するのが、あなたの『やりたいこと』かもしれないよ」

…という内容を想像してしまう。

読んでない状態でこの想像を前提にして話をするのは本当に良くないのだけれど…もしその内容だったとしたら、「気休めだな」と思わざるを得ない。「やりたいこと」探しに疲れてしまうくらいならばそんな気休めも大事なんだけど。

僕は、人生において「やりたいこと」は見て見ぬふりをするよりは向き合う方が良い、というスタンスではあるのだ。

…この本自体はまたどこかの折に読んでみようとは思う。

「何に時間を使うか」という考え方

さて、とはいえ「やりたいことを、『何に時間を使うか』で考える」というフレーズは端的で、かつしっくりくるそれだと思う。

僕は他の記事でも散見されるように、「タスク管理」や「時間の使い方」などには非常に興味があり、その効率化はかなりやっている方だと思う。言い換えれば、「何かをやらねば」となった場合の時間の捻出スキルはそれなりにあると思う。

しかし、逆はどうか?言われてみれば、逆は考えたことがほとんどなかったかもしれない。「この余った時間を何に使いたいか」という発想をほとんどしてこなかった

「フラッと」で突発的な行動をすることが、そういえばあった

いや、たまにしていた。たまに「フラッと今思いついたからカフェに行く」「フラッと今思いついたから焼肉に行く」「フラッと今思いついたから映画に行く」…非常に稀だが、こういった行動をしたことはあった。

「フラッと」で行動を決めるときのコツは、心に訊くことコスパではなく。必要性でもなく。これは僕にとって苦手なことであり、かなり意識しないとできないことだ。

しかし、こういう突発的な行動は、とても気持ちがいいのだ。自分が自由になった気分になる。「自分は何にも縛られていないのだ」ということを実感する。真に限られた人生というものを謳歌しているような気分になる。

モーニングノートを書いたら”夢”らしきものが姿を表した

「何に時間を使いたいか」なんて抽象的なことは、アタマだけでモヤモヤ考えずモーニングノートを書いてスッキリさせるのが僕のいつものパターンだ。

なので、モーニングノートを書いてみた。ちなみにやり方は別記事に書いている。

【やり方説明】書くだけでやりたいことが見つかる「モーニング・ノート」とは?【おすすめ】

2020.10.24

そこで「何に時間を使いたいか」について考えていくと、それに回答する形ではないのだが興味深い一説が出てきたので、見てほしい。

一応、モーニングノートは”公開しないこと”を前提として書くものであり、公開しないからこそ何も考えずに自分の脳内をそこに曝け出すことができるのだが、その熱量というか、僕の思考の流れはそのまま転記しないと伝わらない気がするので、ここに公開する。

夢。デザイン。イラスト。作曲。音響。場づくり。TRPGもそうだ。形あるものを作る必要はないかもしれない。時間。空間。経験。体験。共有。一体感。感動。啓発。安らぎ。安心。リラックス。上記(先述)はその手段じゃないか。手段に過ぎないじゃないか。僕のやりたいこと。根底はとても抽象的な概念かもしれない。「形あるものを1つつくる」じゃない。「形ないものを提供し続けること」だ。かなり納得度が高い。そうなった場合、ブログもあ理。旅行を企画するのもアリ。飲み会もアリ。zoomで話すのもアリ。納得度は高いが、1つ問題がある。測定だ。「夢が叶ったかどうか」を測定ができない。…が…「夢のかけら」という言い方で「叶いつつある」と口に出していくことにするか。

他の人の「やりたいこと」って聞く機会がほとんどないのでサンプルが少ないはず…なんだけど、なんとなく「何かを作ること」「形あるものを残すこと」でないといけないような思い込みがあったような気がする。「形あるものを作ること」に情熱が乏しいのだから、そりゃメーカーにも魅力を感じないわけだ。

いや、今もう少し本質的なところに気付いた。「やりたいこと」と聞いて、WHATに囚われ過ぎていた気がする。

本当に重要なのはその背景の、抽象的な部分だ。

例えば「カフェを開きたい」人は、「人に居場所を提供したい」「人に安心を与えたい」が原点だったりするかもしれない。そのための具体的なアプローチは「カフェ」である必要はないかもしれないのだ。

ていうか、モーニングノートの中身を公開してみたけど、普通に恥ずかしいな。ただ、口にすると恥ずかしいようなものが、いわゆる”夢”なんじゃないかな。逆に「恥ずかしいかどうか」がバロメーターとして使えるような気すらする。「口に出して恥ずかしいこと」は”夢”の必要条件かもしれない。言っていくと慣れるのかもしれない。

「やりたいこと」はまだ見つかっていない

僕が見つけたものは、相当抽象度が高いレベルだ。企業で言うところの「企業理念」に値するレベルのもの。

ここから、この理念につながるような、それでいて得意が活かせて、需要もあり、お金も稼げるもの。そんな「やりたいこと」を見つけるフェーズに入っていく。

今更ながら、『世界一やさしい「やりたいこと」の見つけ方』に書いてあった気がするな。今アレのワークをやれば捗るかもしれない。

やるか〜〜〜〜〜〜〜

以上です、読んでくれてありがとう。

チャイフ

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