「やりたい」が「やらねば」に化ける理由と対策とは?

最初は「やりたい」と思っていたことが、いつの間にか「やらねば」に変わっていることってありませんか?

僕はよくあります。

例えば、英語能力をあげたいと思っていて勉強を始めたが、いつの間にかタスクになってしまい、義務感が出てきたり、取り組まなかった日に罪悪感や後ろめたいような気持ちを抱いてしまったり。

あるいは、読書やアニメ鑑賞といったほぼ娯楽のようなことでさえ、放置していると「最近できてないな…」と思って少し悲しい気持ちになってしまったりします。

なぜなのでしょうか。なぜ「やりたい」が「やらねば」に化けてしまうのでしょうか。ということで今回は、その理由について考えてみました。

それでは!

「やりたい」はそもそも「やるべきこと」の集合体である

結論を先に言ってしまうと、「やりたい」は化けるのではなく、もともと「やるべきこと」の集合体である、ということです。

「やりたい」と思った瞬間は、解像度が低くて「やるべきこと」が見えてなくてキラキラして見えるものです。しかし、実際に動き出すとだんだんとその「やるべきこと」が見えてきて、「こんなはずでは…」となるのです。

いくつか例を挙げてみましょう。

例1:就職

就職において、「やりたかったこと」が100%の割合で叶う確率は0%です。業種、職種、部署、給与、残業時間、休日日数、福利厚生など、勤務地、就職前に情報収集できるものだけでもかなりありますし、同僚、入るプロジェクト、使っているツールは、文化や雰囲気、社内規定など、就職してからわかる情報もいくらでもあります。

就職はあまりにも大きすぎる概念で、「その会社に入ったあとでどんなことをやるか」は、必ず見えていない部分があります。大きなギャップを感じるか、小さなギャップを感じるかの違いでしかないのです。

僕が就職活動をしているときに、「『好きなこと』で仕事を選ぶのはいいけど、幻想を抱いて入社すると後悔する」っていう教訓を聞いたことがあります。

例えば「『車が好きだから』とトヨタに入社しても、日々の業務で車を触れるわけでも見れるわけでも魅力を語れるわけでもないことが多くて、職場によってただの事務作業だったりする。それで理想とのギャップを感じて辞めたりモチベーションが下がる新入社員が多い」…といったことです。

なので、例えば自動車関係で就職活動をする際には「自分は自動車のどの部分に興味があるのか」「製造工程か、機構か、デザインか、技術か、あるいは歴史か」「メカニックな業務ができれば、自動車じゃなくても良いのではないか」など、行動に移す前にできる限り「やりたいこと」の解像度をあげておくことが重要です。そして、それにアンマッチな会社や部署に所属しないように注意をするといいでしょう。

例2:創作

創作活動も、「やりたい」が「やらねば」に化けてしまうの代表格ではないでしょうか。

漫画、イラスト、作曲、執筆、デザイン、動画制作、裁縫、DIYなど。クリエイティブ要素はともかく、ブログもそうです。これらの共通点は、完成までに時間がかかること、完成までに工程が多いこと、です。

例えば、イラストで考えてみます。イラストの作業は大きく分解して「アタリ」「ラフ」「線画」「色塗り」「仕上げ」の5工程があります。しかしまだ分解できる、見えていない作業がいくらでもあるはずです。そもそも「構図・配置」はどうしましょう。色塗り時の「配色」をどうするかを考えるフェーズもあります。もし資料を参考にするなら、資料を探してくる必要があります。背景はどうします?

思い立った人
描きたい!

と思った瞬間は完成形のイメージは脳裏にはあるのかもしれないのですが、現実が見えてくると、

現実が見えてきた人
始めてみたらめっちゃ時間かかるやん
現実が見えてきた人
やること大杉

と、だんだん大変さが理解できてきて苦痛になったり、途中で投げ出してしまう、ということはまぁよくある話かもしれません。

「やりたい」が「やらねば」に化けてしまわないための対策

「やりたい」は化けるのではなく、もともと「やるべきこと」の集合体である、と言いましたが、僕たちの目線だと「化けた」という感覚がありますよね。

さて、どう対策すればいいのでしょうか。2つあります。

最終形をイメージし続ける

1つ目は、最終形をイメージし続けることです。

イラストを描くときに、最初に「アタリを描きたい」とか「青色を使いたい」と思う人はたぶんいないと思います。最終的に出来上がるイラストをイメージすると思います。

イベントを主催したいときに、「場所の確保と使用時の交渉をしたい」とか「収支の調整で頭を悩ませたい」と思う人はたぶんいないと思います。最終的にイベントの当日に盛り上がっている様子をイメージすると思います。

また、多くの仕事でも同じです。つまらなかったり苦労を伴う業務でも、「最終的にお客様に納品するため」や「最終的にサービスをリリースするため」といったゴールに向かっているわけです。その目的のための道のりなのです。

つまり、僕たちが「やりたい」と思った瞬間のモチベーションの出どころは最終形にあり、全ての過程はその最終形に向かっているのです。

なので、「やりたいこと」を実現するための…というより、「やりたいこと」に対してのモチベーションを下げないための重要な要素の1つは、「最終形をイメージし続ける」になります。さらにそのための手段として、「大きく紙に書いてみんなの見えるところに掲げる」といったことは、古典的でありながら非常に有効だったりします。

創作の際に「こんなイメージのモノを作る!」というのを一番最初に考えて、決めて、決まったら「書く」というのが、長い創作活動を通してブレないための秘訣だったりします。

放置しない

2つ目は、放置しないことです。

「やりたいこと」は生モノです。放っておけば放っておくほど、次第に情熱は陳腐化し、「なんでこれやりたかったんだっけ?」と文脈を忘れてしまったり、「そもそも自分はこれやりたかったんだっけ?」と情熱自体を忘れてしまったりします。これはとても悲しいことです。そうして、なぜか放置してある”それ”に対して「やらねば」という思いばかり増幅してしまうのです。

したがって、僕が提唱したいのは、「放置しない」ことです。具体的には、「やりたいこと」に関わる情報にできるだけ毎日アクセスすることです。実際に作業をする、情報収集をしてみる、「今週はこれをやる」とかを書いた紙を毎日見る、誰かとそれについての話をしてみる、などなど。ある意味、先ほどの「最終形をイメージし続ける」にも近いと思います。

人は慣れる生き物なので、何かを継続すること自体は得意です。一方で、残念ながら何かを”しない”を継続することも得意です。僕は大学時代に「アニメは観出したら観るし、観ないようになると観ないようになってしまう」ということに気づいたことがあります。僕の感覚では、「ヨイショ!」と重い腰をあげるというよりは、「めんどくさいと思う前に1分でいいから触れる」という感じです。

「やりたいこと」を宣言する

3つ目は、「やりたいこと」を宣言することです。

本質的には、1つ目の「最終形をイメージし続ける」に近い概念です。誰かに対して口頭で宣言するのがベストですが、SNSやブログなどで宣言しても構いません。「宣言をカタチとして残す」という意味ではむしろ文字ベースで残す方が効果が出る人もいるかもしれません。

「宣言する」というのは脳内でぼんやりとイメージしつつ曖昧だった「やりたいこと」にリアリティを与え、一気に現実に近づける効果があります。Dockerで言うと、イメージファイルからコンテナをビルドするようなものです(?)。

よく言われている通り、「宣言したからには実際にやろうとする」という効果もあります。自分を追い込むような効果ですね。

「やりたいこと」こそ続けるのが難しい

いかがでしたでしょうか。

本当にやりたいことだったらほっといてもやるから、やろうとしないってことは本当にやりたいことじゃないんだよ

と言う人がいます。あれはウソです。

「やりたいこと」こそ実際に動いたり、続けたりするのが難しいのです。「ほっといてもやる」ができる人は天才であり、一部の人間であり、全体の1%もいないと思います。多くの人にとって「やりたいこと」をやるのは、失敗したら怖いし、そこにかけるリソース配分や取捨選択は難しいものです。

「やりたいことをやる」っていうのは、ただフワフワ夢見るだけでもなく、いくらか現実的にリソースを投入する必要があり、時にはつらいこともあるのだと思います。かといって、ずっと苦しみながらやるものでもないと思います。適度な負荷を感じつつ、最終形をイメージしてそこに向かっていくことを心がけていきましょう。

それでは。

チャイフ

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です