先輩に「否定される」のをビビってしまっている

最近、わずかなマインドの変化があった。というか、心にぽっと沸いた違和感のカケラのようなものだ。

それは、とある先輩を「仲間である」と思い切れなくなっている、というもの。

仲間であるはずの先輩にプレッシャーを感じている

とある先輩に対して、プレッシャーを感じている。

MTGを進める中で否定されないか?自分の動きに至らないところがあって指摘されるのではないか?作成した資料を差し戻されるのではないか?

業務上、僕自身が決定権を持っている内容もあるが、先輩の承認をいただくべき場面も少なくない。自分の作った資料をレビューしてもらったり、方針について合意をもらったりする。その中で、過剰にプレッシャーを感じてしまっている。

なぜだろう。

原因はおそらく明白で、最近MTG中などで「否定される」ことが増えてきた気がするから。

訂正されすぎると「否定される」のが怖くなってしまう

「否定される」ことが増えた、という感覚自体、それも僕の気のせいかもしれない。

しかしどうしても、「否定されないようにしよう」というムーブになったり、否定されたらその後のメッセージではなく「否定された」という印象だけが残ってしまう気がする。

建設的な議論のためであったり、良かれと思ってのアドバイスばかりであることは頭ではわかっている。

が、実際に僕自身が恐怖を感じてしまっていることに気づいてしまった。メタ認知してしまった。

以前は指摘に対してもう少し感謝できていた

僕は、「一見ムッとしてしまうようなことを感謝で返すことで、自分も相手も気持ちよくコミュニケーションをする」ということを実践している。自分の間違ったやり方を正そうとしてくれたり、資料の品質をあげようとしてくれている行為であるからだ。(詳しくはこちらの記事で)

全て「ありがとう」で返せ!人生の裏技3選

しかし、今の僕はいただいた指摘に対して「ご指摘ありがとうございます」と素直に言えないことが増えてきている。自分が作った資料を見てもらう際も、差し戻しが入ると「めんどくせぇな…」と思ってしまったりしている。

これは非常によくない。由々しき事態だ。僕自身の精神衛生上もよくないし、人間関係構築の上でもよくない。

原因はなんだろう

歪んだ完璧主義?

1つの原因として、「完璧主義」があるとは思う。自分のやり方、作った資料が「完璧で、穴がない」という前提に立ってしまうと、ひとたび指摘されたり否定されたりすると、「怒り」という感情がすぐ沸いてくるだろう。要は、傲慢になってしまい、謙虚な気持ちを持てなくなってしまっているのだ。

パレートの法則を思い出すべきだったかもしれない。自己採点20点で提出する + 方針とか目次の粒度で確認してもらう…というスタンスを取ればよかった。

僕の失敗として、自己採点を甘くし過ぎた。「そこそこ丁寧に作ったぞ?」という慢心・傲慢な気持ちで提出したから、ダメ出しされたときに自尊心が過剰に傷ついたのだ。

もちろんたたき台だからといって雑な仕事はしないにしても、「どこまでいっても、ある程度はご指摘をいただくもの」という心構えを取り戻していきたい。

否定されすぎた

あとは、実際に「否定されすぎた」もあると思う。途中から1つ1つの否定・指摘を僕が過敏に反応してしまった、という印象のバイアスを差し引いたとしても、実際に回数は多かった。資料のレビューが終わらなくて、そのためのミーティングを何回も設定したので…。

実はこの「否定されすぎた」の時期、複数の資料作成が同時多発的に発生したのだ。それで、つい実態以上に「あれもこれもダメ」みたいに印象バイアスがかかってしまったような気がする。

原則として、プロジェクト推進が目的である

もう1つ、大事なことを忘れていた。

プロジェクトを推進させることがチームメンバーの使命であり、個々のメンバーは漏れなくそこに貢献する、ということ。

私情でチームメンバーに嫌がらせをしたり否定したりするのは言語道断であるとともに、私情で自慢して自分の能力を誇示しようとしたり必要以上に自己否定をする必要もない。

先輩が僕に言ってくれる言葉のほとんどは、プロジェクト推進のためであり、あるいは僕の成長のためであり、私情ではないのだ。そこは間違いない。重要なことは、僕がそう信じ切れるかという点だけだった(ちなみに、世の中には私情でチームメンバーに嫌がらせをしたり否定したりする人間も存在する)。

モヤモヤをアウトプットするのはストレス発散になる

モヤモヤしていたけど、ブログ記事という形で整理して昇華したら少しスッキリした。

ストレスを発散する方法は、瞑想とか運動とか食事とか睡眠とかいくつかあるけど、最も良いのは「人に話す」だと思っている。「自分が何にモヤモヤしてるのか」はアウトプットして初めて整理されるからだ。ただ、前提として話を聞いてくれる相手が必要だし、ネガティブな内容は聞く方も少ししんどいこともある。

なので、その代わりの方法として、僕の場合は「ブログにしてしまう」はちょいちょいやっている。ネガティブな感情はそのままにしておくと心を蝕んでいくが、そう感じる理由には、自分の大切な価値観のヒントになることはあるのだ。

"感情を自覚する"ことで得られる効用とは?【3つ紹介】

2020.08.02

それでは。

チャイフ

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