「世界」というゆるく繋がっている1つの舞台で

世界は、全体で1つの物語だなとも思い、1つの舞台になっているなと思うことがある。そして、自分自身はそこに出てくる80億人の登場人物のうちの1人であると。(1.の話はあんまりおもんないので2.から読んでもらってもよいです)

世界は繋がっている

まず「世界は繋がっている」という話をする。僕はクリフトンストレングス(旧ストレングスファインダー)の「運命思考」が強いので、感覚的にそう思えているというのもある。

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2021.12.28

一方で、歴史を見てみると世界が繋がっているということがだんだんと理解されていくと思う。

日本と外国は繋がっている

まず、日本と外国は物理的には海で隔たっているが、情報的にはひどく密接に繋がっている。

例えば、日本では「ラーメン」が親しまれているが、元々中国が発祥だ。1859年に日本が開国したのをきっかけに流入してきた中国の食文化をもとに、日本が蕎麦やうどんに使っていた「ダシ」を活かすなどして、日本の独自料理としての「ラーメン」を生み出した。

日本で流行っているマンガやアニメは、海外の人たちにとても人気だ。マンガやアニメも元々は日本で生まれた文化だが、その魅力を知った外国人が楽しんだり広めあったりしている。

直近だと、コロナウイルスの蔓延も、楽しいニュースではないが世界が繋がっていることを実感させてくれる。世界のある箇所で発生したウイルスが、人の移動によって瞬く間に世界中に広まってしまった。人々の移動という名の営みによって互いに影響しあっていることをひしひしと感じる。

そのほかにも経済からも世界のつながりを感じることができる。2022年の下半期、凄まじい速度で物価が上昇している。スーパーに行けばあらゆるものが値上げしているし、飲食店では相次いで値上げのお知らせがなされている。自動販売機でペットボトルを購入するのに180円を払わされていたりする。しかも日本だけではないようで、特にヨーロッパでは物価の上昇がとんでもないことになっていると聞く。

値上げがなぜ起きているかというと、売ってる人の思いつきで値上げされているわけではなく、モノの価値が実際に上がっていることが原因だ。さらに原因をふかぼって行くと、あらゆるモノの生産量が落ちていたり、物流が乱れていたりする。その原因は異常気象かもしれないし、少子高齢化による労働力の現象かもしれないし、それこそコロナの影響かもしれないし、ウクライナとロシアの戦争もかなり影響しているとも言われている。

このように、一度も行ったことのないような国や地域で起きたことでも、巡り巡って日本に伝播してきている。

日本の中でも繋がっている

繋がっているのは日本と外国という国同士だけではなく、日本の中でも繋がっている。

沖縄に台風が上陸したなら、 数日後には九州や四国や関西地方にも順々に台風が訪れることだろう。

どこかで何か事件が発生したら、数日後にはニュースとしてテレビで報道されることだろう。

東京でタピオカが流行ったら、数週間遅れで地方にもタピオカが流行る。

今日「久々に飲もうぜ」と友人に言うことで、その関係が持続したり強化されるかもしれない。

なんでもないユーザーアンケートが企業の改善活動に役立てられ、より素晴らしいものに進化していくことは意外と珍しくない。

国民が海賊版のコンテンツを摂取し続けると、そのコンテンツが退廃してしまうかもしれない。

M-1の敗者復活戦で視聴者が投じた1票が、翌年以降のあるコンビ芸人の将来を変えてしまうかもしれない。

このように、日本全体でも天気も、流行も、ニュースも、エンタメも、個別に切り離されたものではなく、全体として繋がっている。

会社の中でも繋がっている

もっと卑近な例で、サラリーマンの人だと、会社の中でも影響し合っていたりする。

自分自身の功績とそれに対する評価が、給与という形で還元される。

社員それぞれの業績の結集が、ボーナスという形で還元される。

ある仕事を断れば、その仕事は誰かに任される。

忙しそうな誰かにリマインドをしてあげれば、ミスが1つ減るかもしれない。

「ちょっとランチにいきましょう」の一言で、人間関係が円滑になるかもしれない。

「zoomを使ってみましょう」と提案して採用されたら、働き方が大きく変わるかもしれない。

「年末調整をペーパーレスにしてみましょう」と提案をして採用されたら、意外とルールは変わるかもしれないし、周囲から感謝されるかもしれない。

このように、会社というものも「決められた大いなる力」でオートマティックに動いているわけではなく、個人個人の選択の結果が積み重なって動いている。

僕たちが生活する世界は、全アドリブの即興劇

さて、長々と「世界は繋がっている」という話をしてきたが、この世界は舞台にも似ているな、と感じるのである。実際に劇場などで行われる舞台では台本があって言動はほぼ決まっているが、だとしてもキャストの演技によって相手の声色や表情や動きは毎公演異なる。セリフがあるとはいえそこで行われているのは紛れもなく生の対話であり、互いに影響し合っているからである。

ましてや、僕たちが生きているこのリアルワールドは舞台に喩えるなら全アドリブの即興劇だ。「次はこのように話す」「次はこのように動く」なんて台本はもちろん与えられておらず、全て自由に動くことができる世界になっている。

「世界」という舞台では、自分の周囲しか見えない

舞台を観劇する人はその世界全体を見ている。このリアルワールドで言えば神のような存在かもしれないし、観測者と表現してもいいかもしれない。しかし僕たちは、神でもなければ観測者でもない。この舞台の登場人物の1人だ。自分が生活するステージの周りで起こっていることは知ることができるが、自分がハケている間に起こったことはわからない。

それでも、自分が見ていないときでも舞台は進んでいるし、自分が出ていないステージでも舞台は進んでいる。何かが、どこかで起こっている。それが自分の生活するステージに見える形で影響してくるかもしれないし、してこないかもしれない。なぜなら、世界は、舞台は繋がっているからだ。

「世界」という舞台では、何もわからない状態で放り出される

僕たちは、そんな広すぎてほんの一部しか見えずしかしゆるく繋がっている「世界」という舞台に、根回しもないままいきなり出演させられた。台本も渡されず、周囲の人間との関係性も知らされず、どのように幕引きをするのかも知らされていない。舞台を進めていくにつれて、「全てを自分で決めなければいけないらしい」と勘づき始める。そして、幕引きのタイミングは正確にはわからないが、どうやら事故や病気などがなければ平均的にはおよそ80年程度の出演時間であるらしいことに勘づき始める。

それに気づいた。

あなたは今、何歳だろう。

あなたはあと、何年生きるのだろう。

あなたは残りの時間を、誰と、どのように、どこで、何をして過ごすのだろう。

「世界」という舞台では、どう過ごしてもいい

「世界」という舞台は、終わらない。各登場人物ごとの幕引きのシーンは必ず訪れるが、「世界」という舞台全体としての終了は、絶対に来ない。少なくとも僕たちが生きている間には、絶対に来ない。80億もの登場人物が少しずつの時間差で舞台にあげられ、長い長い年月をかけて次々と入れ替わりながら、ずっとずっと続いていく。僕たちは、たまたまこの昭和から平成、令和という20世紀と21世紀の時代に登場させられたキャストなのだ。

「世界」という舞台に、再演はない。一度幕引きをしたキャストが再びこの舞台に立たせてもらえる可能性はゼロだ。オーディションも2度と行われない。ただ、僕たちは記憶はないが前世でこのオーディションに受かったらしく、今実際に舞台に立っている。しかも「何をしてもいい」というのだ。

ワクワクしないだろうか?僕はけっこうワクワクする。

21世紀という時代にあげてもらえたのもラッキーだと思っている。もちろん、戦後の技術発展はめざましく、自動車や飛行機、洗濯機や冷蔵庫、テレビなどが登場した時の感動や高揚感はすごかったかもしれない。しかし僕たちも負けてない。インターネット、携帯電話、スマホ、SNS、さらにはVR、Deep Learning、シェアリングエコノミーなど、破壊的技術も次々と出現してきた。今後に目を向けても、自動運転レベル5の完成もあと数年と予想されていたり、代替肉が来て食料問題が大幅に改善されると言われていたりなど、なんだかすごいことがどんどん起きている。

このようにほっといても世界ではおもしろいことが起きている。さらに、自分でも何をしてもいいらしい。思い切って起業や募集をして、上記のような最先端の技術にアプローチしてみてもいいだろう。この繋がっている「世界」全体を変えようと行動を起こしてもいい。逆にそうではなく、すごいことはすごい人たちに任せておいて、「自分は自分の周りを豊かにする」でも構わないだろう。したいことをやってもいい。何もしなくてもいい。この繋がっている「世界」は、望むと望まざるとに関わらず、影響し合う。どんなに小さな行動でも、どんなチョイ役のモブでも、この「世界」の貴重な登場人物の1人だ。

世界には実に多様な80億もの登場人物がいるのだから、誰かに合わせる必要もないし、それぞれの物語がそれぞれで面白いはずなのだ。重要なことは、その役を全うすることだ。その振る舞い1つ1つが、軌跡として確かに残っていく。輝かしい栄光も、暗い過去も、全部ひっくるめてその人の人生の”味”になっていく。正解なんてない。どんなロールでも例外なく尊いものである。尊いものになる。

もし僕が監督で、舞台での過ごし方に戸惑っているキャストがいたら、一言だけ、こう言いたい。

「どうせなら、楽しんでこい」

それでは。

チャイフ

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