「やらせてもらってます」と言うことによる弊害とは?

一般の方
やらせてもらってます
チャイフ
…?🤔

こんにちは、チャイフ(@chaif123)です。

またしても、エッジの効いたテーマを取り扱ってしまいました…というわけで、必要以上によく耳にする「やらせてもらってます」について言いたいことを言わせていただきます。

いや、”言います”!

それでは!

「やらせてもらってます」を時々聞くが…

「やらせてもらってます」という表現を時々聞きます。僕も時々使います。使い方としては周囲に対する感謝、謙遜、へりくだりを表したいときの言葉だと思います。

めちゃくちゃ丁寧な人
現在私が参画しておりますこちらは、私1人では到底実現し得ない領域であり、皆々様のご協力があってこその有り難いもので御座います

この「やらせてもらってます」は日本人特有の表現なのでは?と思うこともあります。英語であえてこのニュアンスを含めるとすれば、”let me introduce.”( 自己紹介させていただきます )とかでしょうか。弱めの使役動詞“let”を使うやつですね。

「やらせてもらってます」とはなんぞや?

てなわけでだんだん気になってきました。「やらせてもらってます」ってなんなんでしょうか。「やらせてもらってます」という表現について改めて考えてみます。

文法的には「させる」は使役の助動詞

文法的には「せる・させる」という使役の助動詞が含まれています。使役の助動詞の意味するところは、1人の人間で完結することではなく「誰かが」「誰かに」何かの動作をさせることです。

注目すべきは、使役の主体が「させてあげよう」と言っているのではなく、使役の客体が「させてもらいます」と言っている点です。使役の客体が「させてもらいます」と言っているとき、使役の主体には「させてあげている」という感覚があるのでしょうか?

誰かに何かを「させてあげて」いる?

逆に考えてみましょう。

あなたはいま、誰かに何かを「させてあげて」いますか?誰かをアサインして、何かしらの権利を付与して、何かを「させてあげて」いますか?僕は今のところそのような意識はありません。

一方、仕事では誰かに何かを「させてあげる」のはありふれたことだと思います。上司が部下に仕事を与えています。発注元が発注先に仕事を与えています。マネージャーがプレーヤーに仕事を与えています。相手が対価を得る代わりに何かを「させてあげて」います。

「応援してくださる皆様のおかげ」という表現もある

また例えば、プロ野球選手のインタビューで「日頃から応援してくださる皆様のおかげです」「皆様の支えがあってこそ」という表現が使われることがあります。

あとは、漫才師の登場時の挨拶の決まり文句として「やらせてもらってますが」というのもよく使われますね。これも同じ「皆様のおかげ」という感覚かと思います。

僕たちが球場に野球を観戦しに行ったり劇場に漫才を観覧しに行ったりするときには、「野球をさせてやっている」「漫才をさせてやっている」という感覚はありませんが、向こうから「させてもらっている」と言ってもらうと、謙虚な姿勢が感じられて不思議と悪い気はしませんね。一種のビジネストークです。

このへんの感覚がすごく微妙なところですね。🤔

ビジネスでは使ってよい

「やらせてもらってます」は、ビジネスでは使ってよい表現だと思います。というか、ビジネスではむしろどんどん使うべき表現だと思います。

なぜなら、会社の看板があるからです。先述の通り、発注元が発注先に仕事を与えているというのは紛れもない事実であるし、今後のために良い関係性を保つのも必要だからです。

ただもちろん、ビジネスシーンだとしても、使いすぎるとくどいと思われかねません。ビジネスシーンでも「させていただきます」を使いすぎている場合は「いたします」に適宜変換するのをオススメします。

プライベートでは使いすぎに注意したい

ではプライベートで「やらせてもらってます」を使いすぎるのはどうなのでしょうか。結論として、プライベートではあまり多用しない方がいいのではないかと思っています。(どこまでがビジネスでどこからがプライベートやねんという話はこれまた深淵に続いているのでここでは割愛します。)

プライベートでも仕事と同じで「良い人間関係を保つ」のは目的になり得ますが、その手段として相手にへりくだる必要はないのかなと思っています。僕はあくまでもフラットな関係を築きたいと考えています。

なぜ僕が「やらせてもらってます」のような表現をプライベートではあまり多用しない方がいいと主張するのか、その理由についてさらに見ていきます。

「やらせてもらってます」を使ってしまう心理とは

さて、「やらせてもらってます」の性質がある程度わかってきたところで、ここからさらに核心に入っていきます。

「やらせてもらってます」の深層心理は「自信のなさ」では?

「やらせてもらってます」を使ってしまう心理とはなんでしょうか。ずばり「自信のなさ」ではないかと思っています。言い換えると、「嫌われることへの恐怖」ではないかと思っています。

「やらせてもらってます」と言わないことによって、こんなことになる可能性を恐れているのではないでしょうか。

自分でやったと言ってみる人
自分でやりました!
幻想の世論

あら、偉そうに(ヒソヒソ)

誰のおかげだと思ってるのかしら(ヒソヒソ)

お礼の1つもないのかしら(ヒソヒソ)

なんだか申し訳なくなってしまった人
すみません、やらせてもらってます…

コントロールできない周りの反応を過度に恐れた結果の自己防衛表現、それこそが「やらせてもらってます」の正体ではないでしょうか。

誰か1人の、1回のネガティブフィードバックを気にしないでいられるかどうか

誰か1人に1回言われてしまったことが十字架となって、それからずっと過度に気にしてしまうことはよくあります。

上記の「幻想の世論」のようなことを言ってくる人間は、残念ながら実在します。しかし、全員ではないはずです。これを「気にしないでおけるかどうか」がポイントで、これはもう典型的な課題の分離案件です。

「課題の分離」を実践するための3つのポイント

「やらせてもらってます」と口に出して言うことの弊害

「やらせてもらってます」と口に出して言うことの報酬は、上記のリスクを回避できることです。「あら、偉そうに」とは思われにくくなるでしょう。

一方、弊害もあると思います。

「やらせてもらってます」と口に出して言うことの弊害について考えてみます。

アウトサイドインの考え方になる

第一に、アウトサイドインの考え方になることです。

「やらせてもらってます」は、他人から使役されているという意味を含んでいるので、いわば『7つの習慣』でいうところのアウトサイドインの発想と言えます。

『7つの習慣』においては、インサイドアウトがあるべき姿です。

インサイド・アウトとは、一言でいえば、自分自身の内面から始めるという意味である。内面のもっとも奥深くにあるパラダイム、人格、動機を見つめることから始めるのである。

by『7つの習慣』

使うだけでアウトサイドインの考え方に寄ってしまう「やらせてもらってます」という表現はできるだけ使わない方がいい気がします。

他責の考え方になる

第二に、他責の考え方になることです。

僕はTwitterのユーザー名に「自己中心で生きる」とつけていますが、これは意識的にそうしています。なぜなら、それまでは他人中心で生きていたことを自覚し認め、それを変えていく必要があると考えたためです。

「やらせてもらっている」という意識が根底にあると、成功した時に自分の達成感が少なくなってしまったり、失敗したときに誰かのせいにしてしまったりと、他責の考え方になってしまいがちです。

次の内容にもつながりますが、最終的には自分で選択したという意識を忘れないようにすることが重要です。

“選択”をしなくなる

第三に、“選択”をしなくなることです。

誰かに与えられた何かに追随するのではなく、自分から主体的に何かを選び取ることが重要です。

先述の「誰かに嫌われる恐怖」は、僕ももちろんあります。「やらせてもらっている」と言う方が気が楽です。「している」と言うのは不安になります。しかし、「自分が選んだんだ」という自覚を重ねることに意味があります。「自分で選んだ」からには、責任も感じるし、背筋が伸びる思いです。

こちらの記事では「嫌われない惰性」というかなりエッジの効いたテーマを書いてあるので、ぜひチェックしてみてください。

「嫌われる勇気」の反対は「嫌われない惰性」

上記の3つがクセになる

第四に、上記の3つがクセになることです。

言葉には「言霊」があると言われています。スピリチュアルな話ではありません。

アタマで考えていることと、実際に口に出して発言することには大きな違いがあります。自分の口から発した言葉は、外でもない自分自身にとって大きな意味を持ちます。口に出して発言すると自覚の程度が変わります

東大に合格したい人
(東大に合格したいなぁ)
東大に合格したい人
東大に合格します!

アタマで考えているだけでは自覚の程度が低いままですが、口に出して宣言すると、「自分はこのように考えているのか」と自覚でき、自分自身に”””覚悟”””が生まれます。

↑参考:すでに”””覚悟”””ができているブチャラティ(『ジョジョの奇妙な冒険』©︎荒木飛呂彦)

「しています」って言う練習をする

「やらせてもらってます」という表現を使いすぎると、「自分は誰かにさせられている」「自分から何かを選んでいない」ということを自覚してしまいます。

ウソでもいいので、「自分から主体的に何かをしている」と思う自覚をするために、意識して「しています」と言う練習をしてみるのはアリではないでしょうか。少なくとも、そのように言う人の方が僕の目には「主体的である」ように映ります。

「しています」って言おうぜ

いかがでしたでしょうか。

手のひら返しをするわけではないですが、「させてもらってます」って言っちゃダメなわけではないです。別に言ってもいいです。我慢するのはすべからく体に悪いです。

ダメなのは、「惰性で言うこと」「口が勝手に言うこと」です。

元々は誰かに協力してもらっていることへの感謝の意があったはずの表現なのに、「とりあえず『させてもらってます』って言っておけばまるく収まる」かのように惰性で言うようになるとモヤッとします。

僕も練習中の立場です。「インサイドアウト」のパラダイムを持ち「責任」を持って「選択」しているという意識を持つように心がけていきましょう ╭( ・ㅂ・)و ̑̑ グッ !"

それでは。

チャイフ

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