人生において、“遊ぶ”を忘れたらアカンと思う【エッセイ】

 

人生において、“遊ぶ”を忘れたらアカンと思う。

っていう話をする。

 

 

 

「大学生をやり直したい」

 

 

 

と思ったこともあったけれど、実際に仕事を辞めて大学生にフルコミット(?)した場合を想像すると、結局お金の不安が増えそうなので、仕事をしながらやれる範囲で”遊ぶ”方が良さそう。

 

そういえば、”遊ぶ”は人生におけるキーワードになるな。と、思った。

 

 

人とロボットの違いは、”遊ぶ”かどうか

人とロボットの最も大きな違いは、”遊ぶ”かどうかだ、と言う話を聞いたことがある。

ロボットの強みは、プログラムされた動きを「正確に」「繰り返し」「飽きることなく」「疲れることなく」「他のことをせず」実行することだ。そのため、3Kとも呼ばれる「きつい」「汚い」「危険な」現場での仕事に充てられたりすることもあったりして。

ロボットにはアイディアがない。良くも悪くも、余計なことをしないのだ。

 

 

一方、人は「ミスをする」「飽きる」「疲れる」「脱線をする」など全て真逆の特徴があると言える。

その意味で、人を人たらしめる大きな要素が”遊ぶ”だと言える。

…もちろん、「人らしく生きること」が目的ではないが、”遊ぶ”をできている時間や人生というのは、往々にして有意義なのではないだろうか

”遊ぶ”の対義語は何か?

この文脈での”遊ぶ”の対義語はなんだろうか。

”遊ぶ”の対義語
  • 決まったことをする
  • 指示通りに行動する
  • 束縛されている
  • 不自由

考えを巡らせたところ、こんなワードが浮かんできた。であれば、”遊ぶ”の言い換えをするならばこんなところか。

”遊ぶ”の同義語
  • おせっかいをする
  • プラスワンを加える
  • 自分で考える
  • やらなくてもいいことをする
  • ひと手間を加える
  • アイディアを加える
  • 自由

 

僕が言っている“遊ぶ”とは、playではなくindependentなのかもしれない。

 

数学のテストで別解を書くと追加点がもらえた

 

“遊ぶ”というのは、「型にハマらないこと」とも言えるかもしれない。

 

そういえば、中学時代の数学の先生が、テストで別解を書くと追加点がもらえるという採点方式だった記憶がある。

型にハマった想定解答を用意するだけでなく、生徒側のアイディアで別の解き方をテスト用紙に披露すれば、それも評価されて割り当てられた点数以上の点数をゲットできるのだ。

点数上位の生徒は発表してもらえる仕組みだったのだが、100点満点のテストで「108点」とかを出す生徒もいて、生徒が「もっと」を目指したりオリジナリティを出そうとして創造性が育まれる、素晴らしいシステムだった。

もし「どれだけ勉強して頑張っても100点しかもらえない」のであれば、人は努力や進歩を止めるかもしれないけれど、このように自由度を感じられると、人は“遊ぶ”ことによって、創造性を成長させるのではないかと思う。

ただ、ここまで書いて僕の妄想や聞いた話の記憶改ざんではないか不安になってきた。当時からの友人がいるので確認してみた。覚えてなかったらしい。そうだよね。

「勝負事で本当に楽しむ為には強さが要る」

勝負事で 本当に楽しむ為には強さが要る(嶋田)(©︎『ハイキュー!!』 by 古舘春一)

これは『ハイキュー!!』という激アツバレーボールマンガの名言の1つだ。『ハイキュー!!』はスポーツマンガの中でも人生の教訓にもなることをたくさん教えてくれる神マンガである。

この名言はスポーツに関しての言及であるが、いろんな方向に解釈ができる。“遊ぶ”の文脈でも解釈できると思う。

 

「強さ」が「楽しむ」の必要条件だということだが、「強さ」は「能力」と拡大解釈できると思っている。

基本があって応用がある。”勝つ”ための「能力」があれば、“遊ぶ”ことができる。“遊ぶ”とは応用することであり、そこには自由がある。

スポーツにおいても、一定以上の「強さ」があれば、「勝つために必要なことをただただ遂行するだけ」ではなく、「ちょっとアレンジを加えてみる」ができるようになるのではないかと。

仕事でも、基本的な職務遂行ができるようになった”余白”で、自分のアイディアを通したり、業務改善をしてみたり…という“遊び”ができるのではないかと思うのだ。

自然と出てきたけど、”余白”も“遊び”と同様の概念で、キーワードになりうるな。

“遊ぶ”とは、守破離の”離”のことかな?

守破離という言葉がある。

しゅ‐は‐り【守破離】

剣道や茶道などで、修業における段階を示したもの。「守」は、師や流派の教え、型、技を忠実に守り、確実に身につける段階。「破」は、他の師や流派の教えについても考え、良いものを取り入れ、心技を発展させる段階。「離」は、一つの流派から離れ、独自の新しいものを生み出し確立させる段階。(by goo辞書)

僕が先程から言っている“遊ぶ”とは、守破離の”離”のことな気がする。

型を守り、型を破り、型を離れる。”守”が正しくできていればこそ、“遊ぶ”ことができる。

守破離という言葉でよくありがちな教訓として、「まずは”守”を意識して、基本を固めよう」ということが言われる。だが、”守”ばかりをやっていて”破”も”離”もチャレンジしないまま人生が終わってしまうのもつまらないというものである。

“離”。いわばさっきから言っているところの“遊ぶ”が一番楽しいフェーズであり、有意義なフェーズである。最終的に自分のやりたいように“遊ぶ”ことを忘れないようにしないといけないな、と自戒を込めて思ったりする。

僕自身に“遊ぶ”モチベーションがあるか?

 

なんとなく“遊ぶ”の概念が整理されてきた気がする。

 

ここまで考えて、肝心の僕自身に“遊ぶ”モチベーションがどれほどあるのか?ということを考えてみた。

ストレングスファインダーの「規律性」という資質が6位であるということもあり、「決まったことを決まった通りに遂行する」ということに対して、僕は一定の心地良さを感じている。外乱・不確実性といった要素はできる限り排除したいという価値観の持ち主である。

一方、「“遊んでいる”人生は魅力的だ」「人生の中で“遊び”たい」という価値観も持っている。それは自信を持って言える。型にハマった人生・敷かれたレールを走る人生がイヤで転職を決意したくらいなのだから。

人生において、“遊ぶ”を忘れたらアカン。いつでも自由に、しなくていいことをして、ふざけていきたい。

チャイフ

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