【昔話】「『すごい』と言われたい」の原体験【自作アニメ】

こんにちは、チャイフ(@chaif123)です。

ちょっと前に書いた記事で、自分が「『すごい』と言われたい」で動くことに気づきました。

人は「必要だから」では動かない【頭ではわかっているのに】

そこで、その理由というか、具体的な「原体験」とも言えるエピソードを思い出したのでそれについてお話しします。

それでは!

ビデオカメラの「らくがき」機能でアニメ作成をする小学生

小学生の頃の話

時は遡り、小学生の頃の話です。

学年は覚えていません。

「暇さえあれば外に遊びに行く」というアウトドア派ではなく、家でゲームとかマンガを読んでいるようなインドア派の少年でした。

らくがきできるビデオカメラという「おもちゃ」

一般家庭によくありがちな、運動会でお父さんが使うような(?)ハンディビデオカメラあるじゃないですか。

あれの、手前のディスプレイに「らくがき」ができるやつあるんですね。

今ではiPhoneでもアプリでできそうな機能ですが、当時は斬新な機能だったかもしれません。

で、ビデオなので、らくがきが画面に描かれた状態で「再生」できるわけですよ。

小学生のとき、あれを使って、パラパラ漫画的にアニメーションを作っていたんですね。

地面を写して黒背景にし、ラクガキのコマ送りでアニメーション作成

この「らくがき」機能の想定されている使い方は、人や背景をビデオカメラで撮影し、マークアップやポイントアウトをすることでしょう。

ですが、僕はあえて地面にカメラを密着させてアナログ的に黒背景にし、ラクガキのコマ送りだけでアニメーションを作ろうとしました。

コマ送りにして、消して書き、コマ送りにして、消して書き。

かなり根気のいる作業ですよね。

機能的には、Windows98の「ペイント」でできそうな気もしますね笑

地味にクオリティが高い仕上がり

もちろん客観的ではなく、主観的な感想ですが、けっこう高いクオリティだった気がします。

画面も狭いし画素も粗いので細かい絵は描けないので、「コップが倒れて水がこぼれる」とか、「鳥がはばたく」などの簡単なコンテンツです。

しかし、間違いなくアニメーションとして成立はしていました。

昔話は以上です。

この創作意欲はどこからきていたのか?

ただ、また1つ疑問が残ります。

この根気のいる作業は、誰かに頼まれたわけではありません。

金銭的な報酬があるわけでもありません。

この創作意欲はどこからきていたのでしょうか。

当時見ていたアニメとしては、コナン、ドラえもん、しんちゃん、おジャ魔女どれみくらいの一般的(?)なもので、本格的なアニオタの開花は大学生に入ってからです。

何故わざわざアニメを作ろうと思ったのか…?

(˘ω˘)?

やはり「『すごい』と言われたい」が始まり

答え合わせです。

実はあれは「純粋な創作意欲」が第一モチベーションではなくて、やはり「すごいと言われたい」が第一モチベーションだったようです。

  1. 「すごい」と言われたい
  2. 「すごい」と言われるようなモノを作ろう

という順番、思考回路ですね。

チャイフ少年の目論見は見事にヒットしました。

ビデオカメラでアニメーションを作る小学生に対して、大人は称賛の嵐でした。

さぞかし気持ち良かったんでしょうねぇ。

「目立たず、裏で仕込んでおいて、””すごいもの””を作ってしれっと披露して褒められる」が一番楽しいんだと思います。

小学生の頃の記憶は薄れていますが、アレに関しては鮮明に憶えています。

その瞬間、ビデオカメラは僕が使っていたので、映像には残っていないんですけどね。

誰しもがどこかにあるはず「原体験」

いかがでしたでしょうか。

「目立たず、裏で仕込んでおいて、””すごいもの””を作ってしれっと披露して褒められる」が一番楽しい、は大人になった今でも同じです。

そのために生きてるんじゃないか、と思うほどにはこの欲求は強い感覚があります。

この最初で最後の(?)アニメーション制作は、この感覚を見事に表したエピソード、「原体験」になっています。

さらに遡って、この価値観自体がいつ醸成されたのか、についてはなんともいえないですが…

人によっては明るい話ばかりではないかもしれませんが、自分にとっての「原体験」に思いを馳せてみると、新たな気づきがえられるかもしれません

それでは。

チャイフ

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