こんにちは、チャイフ(@chaif123)です。
「諦める」と聞いて、どんなイメージを思い浮かべますか?
ポジティブでしょうか?ネガティブでしょうか?
今回は、ついつい誤解されがちな「諦める」という表現の語源、意味、解釈などについて考えていきましょう。
それでは!
Contents
「諦める」はネガティブな言葉だと思われがち
どうも、諦めるはネガティブに捉えられがちです。
もちろん文脈や言い方によってはネガティブになりうるとは思います。
残念な結果や苦しい決断をするときなどに使われる表現でもあります。
しかし、「諦める」は、終わりであると同時に始まりであると思いませんか?
Aという案を諦めて、そこで全てが終わりではありません。Aという案を諦めるからこそ、Bという案やCという案を考えてみることができるのです。
「諦める」の対義語は「執着する」「固執する」
ここで一つ考えてみましょう。
Q.「諦める」の対義語はなんでしょうか?
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正解はこんな感じです。
- 粘る
- こだわる
- 執着する
- 固執する
- 未練を残す
表現は1つではないので、どれも正解だと思います。それにしても、なんとなく下にいくほどネガティブなエネルギーを感じますね…
先ほどの例でいくと、Aという案に「執着し」「固執し」「未練を残し」続けることが「諦めない」ということです。
こう聞くと、「諦める」も、冷静で勇気のある、ポジティブな考え方だと思いませんか?
「諦める」の語源は「明らむ」「明らかに見る」
実は、「諦める」の語源・ルーツは仏教にあります。
そもそも「諦める」はネガティブな言葉ではありません。
— チャイフ☀自己中心で生きる (@chaif_123) October 23, 2019
「諦める」とは、仏教における「諦観」から来る言葉であり、「あきらかにみる」ということを指しています。
悪い状態は一度忘れて、真理を受け入れ、対策を立てて実行していけ、というむしろポジティブで前向きな言葉です。
仏教には「諦観」という立派な思想があり、本質を明らかにする、という意味があります。
なぜ「諦める」がネガティブに捉えられるのか?
では、なぜ「諦める」がネガティブに捉えられがちなのでしょうか?
ここからは僕の持論になります。
粘り強く、最後までやり遂げることが美徳とされがち
第一に、「粘り強く、最後までやり遂げる」ことが美徳とされる風潮のせいです。
「諦める」の対義語に、「粘る」がありましたが、「何か一つのことを粘り強く最後までやり遂げることが素晴らしいことであり、途中で投げ出してしまうのは悪である」という価値観が蔓延しているように感じます。
日本は特にそうかもしれません。
もちろん、何も考えず「しんどいから」「だるそうだから」でやめてしまうのはただの怠惰です。しかし、試行錯誤と考察の末に根拠を持って「諦める」というのは尊重される選択だと言えるのではないでしょうか?
変化が怖い
第二に、変化が怖いからです。
人は、自ら変化するのを恐れています。
しかしそれ以上に、身の回りの人に変化されるのを恐れています。
- 一緒にノー勉でテストを受けようと言ったはずなのに友達だけめっちゃ勉強してて抜け駆けされた気分になる
- 同じ(レベルの)仲間だと思っていた人が転職や起業で離れていき、遠い存在になったように感じる、裏切られた気分になる
- いつまでも子供だと思っていた息子や娘がいつの間にか一人前になり親離れしていくのに寂しい気分になる
こんなことはよくある話だと思います。周りの人に変化されるのを恐れるばかりに、「諦めさせる」=「執着させる」というアクションをとってしまうのです。
しかしそのアクションは本当に相手のために、そして自分のためになっているのか、もう一度考えた方がいいのかもしれません。
安心空間であるコンフォートゾーンを抜け出し、知らない世界を開拓するには?
時には諦め「て」、変化を受け入れてみましょう
いかがでしたでしょうか。
確かに「諦める」だけだと、そのまま止まるイメージです。
そうではなく、「て」をいれましょう。
- 諦め「て」、次のことを考える。
そうすることで、ポジティブなイメージを持ち続けることができるのではないでしょうか。
それでは。
チャイフ
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