優秀な同僚がいてもいなくても、自分はできることをやるだけなのだよ

つい先日、新しいメンバーがジョインした。僕と同じ、マネージャー職での採用である。会社として、プロジェクトとして必要と判断して応募していたわけで、ようやく条件を満たす人材が見つかって、ハッピーなはずである。

その同僚がジョインして数日経って、雑談の中で彼が褒められていた。とても頭がキレるし、優秀だ、と。それは僕自身も一緒に仕事をしていて感じるし、その通りだと思う。

ただ、ほんの少しモヤッとした

「悔しい」と思った?

この気持ちはなんだろう。「悔しい」が近い気がする。あるいは、劣等感か。

ちなみに、「悔しい」とは、物事が思うとおりにならなかったり、はずかしめを受けたりして、あきらめがつかず、腹立たしい気持ち…だそうだ。まぁ間違ってはいない気がする。

冷静に考えれば、そんなことを思う必要はないのだ。プロジェクトが”回っていなかった”(”回る”とは何を指すのか曖昧であるが)からこそ応募し、採用したのであって、最初に書いた通り、ハッピーなイベントである。ただ、「自分の力では不足と判断された」という曲解もできる、という話だ。

僕自身、そこまでは思っていないにしても、多少はそのような「悔しさ」を感じていて、その「同僚が褒められている」というタイミングで顕在化したのだと思う。

ちょっとだけ同族嫌悪でもある

職種がかぶっているというのもあると思う。

例えば、優秀な営業の人が増えても、優秀なエンジニアが増えても、仕事がやりやすくなるだけだ。しかし、優秀なマネージャーが増えると、自分の居場所が脅かされるように感じるのかもしれない。自分の評価が相対的に下がってしまうことを危惧してしまうのかもしれない。

実は、この気持ちを抱く前提条件がある。それは、世の中はパイの取り合いだという価値観を持っていることである。世の中のお金や居場所が有限であり、取り合いだと思っていると、人が増えた時に「居場所を奪われる」という危機感を覚える

逆に、世の中のお金や居場所が無限にあり、どれだけ取ってもなくならないと思っていると、人が増えた時にも心から歓迎できる。これを『7つの習慣』では「豊かさマインド」と表現されている。

僕は、「豊かさマインド」を少し忘れてしまっていたのかもしれない。

チームに対する努力や貢献には、本質的な貴賎はない

ただ、結局その人が来たからといって、僕がやることは大して変わらない。その人が来るまでのプロジェクトが”回っていなかった”と仮定したとして、その人がジョインしたところで、プロジェクトが”回る”かどうかはわからない。マネージャーを10人投入しても”回らない”かもしれない。

そもそも何かしらの成功があったからといって、それが「誰か1人の貢献」で成り立っていると考えること自体がおこがましいとも言える。プロジェクトはチームで動かしていくものであり、そこに対する努力や貢献に本質的な貴賎はない。現実問題として、貢献度や能力によって給与の額が決定されることはありうる。しかし、給与なんてただの数字だ。自分の中で能力を磨き、貢献度を上げ、給与アップを目指すのは良いことだが、他人と比べてただ羨望したり自分を卑下したりする行為にはマジで意味がない。

年収の数字だけで上を見てテンションを下げたり、下を見て優越感を覚えたりして一喜一憂していては心が疲れるだけだ。そんなことをしているくらいなら、手元にあるお金の使い方を考えたり、自己研鑽に励む方がよっぽど有意義ってもんだな。

できることをやりつつ、できることを増やしていく

急にお金が降ってくるわけではない。

急に筋肉がムキムキになるわけではない。

急にIQが増加するわけではない。

急に英語が喋れるようになるわけではない。

急にプロジェクトの経験値が増えるわけではない。

結局、自分は自分のできることで価値提供していくしかないのである。

そして、その「できること」を増やしていくしかないのである。

ただ現実を悲観するだけでは何も生まれない、何も変われない。

もしも悔しいと思うなら、それをパワーに変えろって話だ。

チャイフ

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