友達の「抜けがけかよ〜笑」が大人になるまで呪いになっていた話

こんにちは、チャイフ(@chaif123)です。

高校生の頃、クラスメイトの一言が、最近まで呪いになっていたことに気づきました。

その一言と、それで僕がどんな影響を受けたかについてお話しします。

それでは!

「呪い」の正体

高校生の頃の話

高校生の頃、仲の良いクラスメイトに言われた一言が、つい最近まで呪いになっていたことに気づきました。

大学受験に向けて成績の競い合いというのもあり、日々のテストや模試の結果はみんなの興味対象でした。

そこで、彼よりも良い成績をとったときに、なんでもない一言を言われたのです。

仲の良いクラスメイト
抜けがけかよ〜笑

こいつは別に悪いやつではないです。

ただ、ちょっとクセがあるだけです()

なんでもない一言が「呪い」となった

この当時はそれほど考えておらず、冗談の類のようにしか受け取っていなかったし、言った本人もそうだったと思います。

しかし、僕の中でなんとなく忘れられない一言になっていたようです。

いわゆる、「呪い」です。

「言葉は凶器」だなんて言われることもありますが、本人の何気ない一言が、誰かの心に深く刻まれて数年あるいは数十年影響を及ぼすことは本当にあるみたいですね。

「呪い」の影響

人よりも秀でることが怖くなってしまった

具体的にどのような呪いにかかってしまったかというと、「人よりも秀でることが怖い」という呪いです。

仲の良いクラスメイト(2回目)
抜けがけかよ〜笑

僕は抜けがけのつもりはなかったです。

ただ大学受験に向けて勉強をし、自分の力をテストにぶつけた結果に過ぎません。

しかし、その「自分の努力が友達を少ししょんぼりさせてしまったのではないか」という、歪んだ罪悪感が植え付けられました。

冷静に考えてそんなことあるはずないし、そうだとしても考える意味がありません。

しかし、「自分が結果を出したり目立つことは周囲の人にとって妬みや僻みの対象になるのかもしれない」という感覚は、僕の中で確固たるものになっていきました。

これは「僕自身が秀でている」という嫌味ではなく、僕自身の意識の問題です。

学歴コンプレックス

この体験は、学歴コンプレックスにもつながっています。

僕は自分の出身大学の話をあまりしたくないという感覚が長らくありました。

今でもありますが、今ならまだその話題を出すことに対してストレスを感じることはほとんどなくなりました。

これについてはstand.fmで詳しく語っていますので、よろしければ聴いてみてください。

 

原体験がクリフトンストレングスに影響している

この体験が、僕のクリフトンストレングスの資質によく表れています。

クリフトン・ストレングスを受けるべき理由とは?【資質公開】

例えば、公平性3位。

公平性にはいくつかの特徴がありますが、その中の一つに「自分も含めてその場全体の平均点を探ろうとする」というものがあります。

自分は一番になったり目立ったりしてはいけないという感覚があります。

他にも、「人を打ち負かすことは誰かが悲しむことにつながるかもしれない」という思いが、競争性33位に表れています。

「仮に勝負に勝つという結果になったとしてもできるだけ全員がハッピーであってほしい」という思いが、調和性2位に表れています。

このように、価値観が固まっていない未成年の時期に良くも悪くも心に残る出来事があると、その後の価値観を形成し、人間性に昇華していくみたいですね。

「呪い」も含めて自分の一部です

いかがでしたでしょうか。

「呪い」という表現をしましたが、僕は僕に「抜けがけかよ〜笑」と言った彼のことを恨んでも憎んでもいません。

僕は公平性や調和性とうまく付き合っていますし、そんな調和的な人柄をよく思ってくれる人も周りにはいます。

過去の出来事を今どう処理するかは今の自分が決められることです。

事実は事実と認めて、「呪い」も前向きに捉えていけたらと思います。

それでは。

チャイフ

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