X世代も昔はカッコ良かった

こんにちは、チャイフです。

僕は現在、サラリーマンとして働いています。同じ職場は同世代ばかりなわけはなく、様々な世代がいます。というか、40〜50代の方々が多く、今でも中心となって仕事を回しています。

そんな上の世代の方々と接していく中で、僕はずっと違和感を感じていました。それは、彼らにカッコ良さを感じない、ということです。

カッコ良さを感じないのはなぜだろう?ということで原因を追求してみました。

ちなみに僕が最終的に言いたい結論は、4.5.だけです。

今の世の中は間違いなくX世代が作り上げている

僕が冒頭で述べたのは、いわゆるX世代、なんて呼ばれ方もしています。

X世代:ジェネレーションX(英: Generation X)は、アメリカ合衆国において、1960年代初頭または半ばから1970年代に生まれた世代である。(Wikipedia)

欧米諸国で、第二次大戦後のベビーブームの後に生まれた世代をいう。1960年代から1980年代初頭までに生まれた世代で、個人主義的傾向が強いといわれ、ミージェネレーションともよばれる。これに続く世代をY世代とよぶ。(コトバンク)

今の社会、経済、インフラなどなどを作り上げたのはこの世代です。戦後の経済成長期とその後の発展を支えてきたのもこの世代です。

僕たちY世代(1980〜1990年代生まれ)や、次のZ世代(2000年代〜生まれ)は、そんなX世代の人たちに感謝すべきです。また、その時代に活躍ぶりを目の当たりにしていたら、きっとめちゃめちゃカッコ良かったのだろうと思います。

しかし、いまの視点から見たり話を聞いたりすると、なぜかカッコ良いと感じられないのです。

X世代の脳裏にある成功体験

X世代の一番の武器は「経験」です。成功と失敗を何度も繰り返してきたであろう彼らの経験は比類なき財産です。

しかし、誰しもが「俺たちが若い頃は」という語り口調で話してくるわけではありませんが、X世代の方々が話す体験談は多くの場合、なぜだろう、どこか魅力的ではないのです。

僕はその年齢に達していないので、あくまでも26歳という立場から推測し、仮説を立てました。

成功体験が思い出になっている

僕の1つの仮説は、成功体験が「思い出」にシフトしてしまっているのではないか、ということです。

あの頃はどうだった、それに比べて、と今を嘆いているだけに聞こえる。

だからといって今を変えようという人はほとんどいない。

思い出話をするのは楽しいものですから。しかも美化されているだけでなく、間違いなく成功を収めていた時代の話ですから、武勇伝にしろ、当時の大変さの思い出にしろ、さぞ楽しいでしょう。

しかし、中身がない、というか、それを聞いているY世代は「へぇ、すごいですね」以外の感想を持てないわけです。

新しいことを始めることはリスク

もう1つの仮説は、成功体験こそが絶対、言い換えれば、成功体験と同じようにすることでのみ成功すると思っているということです。

X世代には、新しいことをしたがらない人が多いです。新しいことをしたがらないのは、どういう心理でしょうか。

X世代の1番の武器は「経験」なので、それを活かさない手はないです。そんな中、新しいことを始めようとすれば、若者の発想力と体力、行動力に敵わないでしょう。

もしも会社で新しいことを始める流れにでもなればどうでしょうか。若者が、長年の経験に頼らない斬新な発想で活躍し、X世代はお役御免になるかもしれません。彼らは、自分たちの土俵で戦うべきだし、実際にそうしています。端的に言うと、X世代にとって新しいことを始めることはリスクなのです。

X世代とズレを感じる点

なぜ考え方がズレるのだろう、と考えたときに、世代の差がもたらす違いが、3つ挙げられます。それは、「技術」「価値観」「残り時間」です。

技術

言うまでもありませんが、今と10年前では、「できること」が全く違います。10年前と20年前でも大きく違うでしょう。しかも、様々な技術の進歩はまさに日進月歩、どんどん加速しています。

インターネットが普及し、スマホが普及し、いまでは人工知能や自動化やAR・VRの波が来ています。もしかすると、分野によってはそれらも当たり前になり、すでに最先端ではなくなっているかもしれません。

にもかかわらず、それらに対応するのが知識・技能・コスト面で難しいため、昔のやり方を続けてしまう、昔の考え方を続けてしまう、ということが起きています。(感覚とか感情の面も多分にあると思いますが)

僕たちからすると、「もっといろんなことができるのに、なぜやらないんだろう」と思ってしまい、ズレが生じるのです。

価値観

価値観が違います。モノが足りなかった時代から、モノが飽和する時代に変わってきている今、形のあるモノに価値を感じるか、経験や感動などの形のないものに価値を感じるか、という点が大きく異なります。

例えば、僕は車や家を所有することにあまり価値を感じません。理由は2つあります。

1つ目は、すぐに動ける状態が理想的と考えるからです。立派な家や車を所有してしまうと、かえって枷となり、動くことを躊躇する原因になりかねないからです。

2つ目は、困らないからです。生活をするだけなら賃貸で困らないし、車のシェアリングサービスもあります。

「いい車を持っている」ことに対してカッコ良さや魅力を感じないので、話も合わないです。

残り時間

年齢が直接関係することとして、残っている時間が違います。最近は人生100年時代とよく言われるので、働くのが65歳までかどうかは諸説あるとして、相対的に残された時間が違います。

仮に65歳まで働くとしたら、例えば僕は約40年のキャリアプランを考える必要がありますが、50歳の人は残り15年を考えればいいわけです。しかも、先ほども述べた通り、約30年の成功体験があります。

これまでの30年間でうまくいったことを、残り15年も継続するだけの簡単な作業です。何が正解かわからず不安を抱いている僕たちとは違い、先のことをあまり考えなくなってしまうのも無理はありません。

何かに挑戦している人はカッコ良い

ここまで、めちゃくちゃ否定的に書いてきましたが、そんな中でもカッコ良いと思える人がいます。それは、「今もなお新しいことに挑戦している人」です。

何かを変えようとしている、問題を解決しようと行動している。そして、それが目に見えてわかる。行動だけで見せる人もいますが、そういう人はたいてい、発言も革新的だったりします。

ケンタッキーのカーネル・サンダースが65歳で起業したのは有名な話ですが、コレなんかも本当にそうです。安定に向かうどころか、一世一代の挑戦。なんとカッコ良いことでしょうか。

何かに挑戦するということ

言わずもがな、「カッコ良く思われること」が目的ではありません。行動の動機にはなるかもしれませんが、本質ではありません。

しかし、現状維持に甘んじてしまう人が大多数の状況で、何かに果敢に挑戦をしている人は、その瞬間、本人が一番人生を楽しんでいるのではないでしょうか。。

年齢を重ねるにしたがって、その人にとっての「新しいこと」はどんどん減っていきます。でも、だからこそ、他の人の目を気にせず、新しいことに興味を持ち、試していくのが人生を楽しむ秘訣ではないでしょうか。

チャイフ

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