【エッセイ】世界は自分の思い通りにならないが、それでも人と何かをしていく

僕は人に期待していない

僕は人に期待していない。

仕事でもプライベートでもそうだ。頼れる先輩や尊敬できる上司はいるけれど、彼らのサポートは期待していない。期待してはいけないとすら思っている。

なぜなら、彼らも忙しいし、万能ではないし、ミスはするし、僕にばかりかまっていられるハズがない。

 

僕は前職でそのようなことを思った。

前職のときの経験談を「通勤路を1本ズラしたら人生が変わった話」という記事で書いたが、通勤路を1本ズラしても、食堂ランチで先輩から逃げても、2次会から逃げても、何も起きなかった。

通勤路を1本ズラしたら人生が変わった話

2021.06.28

僕はここで「自分で選ぶことが重要」「他の人は自分に興味がない」という気づきを得たが、実はもう1つの気づきがあった。

それが、「他の人は自分にかまっていられるほどヒマじゃない」ということだ。「ヒマじゃない」というと少し語弊があるが、要は「誰しも、最終的には自分の人生が最も重要で、自分のことで精一杯で、人を助けられるのは余った時間・余ったパワーで」ということだ。

「自分のコップに水を注いでいき、溢れた水でのみ人の渇きを潤せる」という例え話はそれなりに有名かもしれない。

(ここら辺の感覚を伝えるのが非常に難しい。読んでいる人にどこまで伝わっているのか不安でしょうがない。)

かといって、孤独を選択することもない

「他の人は自身のことで精一杯なんでしょ」

「じゃあ自分になんてかまわなくていい、1人で生きていくよ」

…と、孤独を選択する人もいるかもしれないが、それは違う。それはまた極端な話だ。

生きていく上で、人の協力は必要不可欠だ。というか、必要・不要とかいう固い話じゃなくて、人と協力して何かをすることほど楽しいことはないし、人は誰かと一緒に何かをすることによってのみ何かを成し遂げられるとも思っている。

僕は頼れる先輩や尊敬できる上司のサポートは期待してはいないが、頼れる先輩や尊敬できる上司に”お願い”はする。「手伝ってください」「助けてください」 とヘルプを求めることも少なくない。というか多い。

「自分ができることをやる」「自分にできないことはしない」を徹底しているだけだ。自分がコントロールできる領域をコントロールし、コントロールできない領域はコントロールしない、と言い換えた方が表現として近いと思う。(このへんの方法論は「課題の分離」の記事が参考になると思うけど)

「課題の分離」を実践するための3つのポイント

2020.05.31

依頼はする。ただ、「その依頼を覚えていてくれ」と思ってしまうと、それは勝手な期待だと思う。だからリマインドはするし、進捗の確認はする。もちろん「あれやってくれた?」なんてぶっきらぼうな訊き方はしない。気を悪くするだけだ。

「本来ならば僕自身がやるべきところなのですが、いかんせん能力が足りていないのと時間が足りていないために、申し訳ないがこの部分を手伝ってくれまいか」

…というのが基本姿勢だ。だからこそ「ごめん、ちょっと対応できない🙇‍♂️」と言われた場合にも失望はしない。再度、「自分でやる」「他の人に頼む」「納期を調整する」など、自分がコントロールできる範囲にアプローチをかけていくだけ。これは別に孤独でもなんでもないでしょ?

で、またややこしいことを言うんだけど、「期待はしていい」と思っている。人に依頼するからには、「それをやってくれるだろう」と思うのは自然な心の流れだ。ただ、「期待はしていいけど、相手に投げっぱなしになるのはよくない」が表現として近い…かな…?

依頼はする。やってくれると嬉しい。しかしやってくれなかったとしてもそれがベースだから、失望はしない。

期待はする。期待通りの反応だと嬉しい。しかし期待通りの反応じゃなかったとしてもそれがベースだから、失望はしない。

「願えば叶う」なんてことがあるわけがない。願って、そこに強い情熱を抱いて自分にできる行動を重ねていくからこそ叶うのだ。そこの起点と終点だけを取り出して「願えば叶う」と端的に表現したものだ。

「世界は自分の思い通りにならない」と気付いて、おとなになっていく

ちょっと違う話をする。

ヒトは誰しも赤ん坊から人生をスタートする。赤ん坊は”泣く”ことで周囲をコントロールできる。泣けば大人が世話をしてくれるのだ。”泣く”ことが赤ん坊にとっての唯一にして最強の生存戦略なのだ。

やがて自我が芽生えてくる。 2歳、3歳、4歳と大きくなっていく。いまだに”泣く”ことが最強の生存戦略だ。

しかし、周囲が自分の思い通りにならないことが出てくる。幼稚園や保育園で考えてみる。

先生はギャン泣きすれば、わりと世話をしてくれる。

ベイビー「よいだろう。くるしゅうない。」

だが、自分と同じような姿をした園児たちはどうだろうか?自分が泣いても、自分の世話をしてくれない。

ベイビー「どういうことだ?おかしい。最強の戦略は、万能の戦略ではなかったのか?」

しかも、両親の様子もおかしい。弟や妹ができた途端、自分のことをかまってくれなくなる。自宅では自分の世話をしてくれるのに、外に出かけたときは100%自分に従事してくれない。

ベイビー「世界が自分の思い通りにならないことがあるのか?」

はい。

…偏見が入っていますがおそらく、ヒトは成長の過程で「世界は自分の思い通りになる」と勘違いをします。そしてどこかのタイミングで「それはまやかしだった」と気付きます。

そして、この「世界は自分の思い通りになる」という期待と「自分1人で生きていくしかないのか」という失望の間を揺れながら、”おとな”になっていくような気がします。

僕の答えは、「どちらも間違い」です。

わからないから、おもしろい

「世界は自分の思い通りになる」わけはないし、「自分1人で生きていくしかない」わけもない。世界は自分の思い通りにならないし、他人も自分の思い通りにならない。

けれど、自分1人で生きていくのはあまりにも難しいし、誰かと何かをするのはシンプルに楽しい。

自分1人では赤く見えていた世界が、誰かの目には青く見えているのかもしれない。それを知れば、1回の人生で2倍の経験ができるではないか。

全てが思い通りになるカミサマの気持ちはどんなだろうか。最初は気持ちいかもしれない。最初は快感かもしれない。でも、ずっと思い通りだと、この上なく退屈なんじゃないか。だからカミサマは、好き勝手に動く自我を持つ人間を作ったのかもしれない。人間、暴れすぎだけどね。

思い通りにならないからこそ、おもしろい。

わからないから、おもしろい。

そう捉えていければ。

チャイフ

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