【エッセイ】資格とか経歴って選択肢だし、無理に活かす必要はないよな

こんにちは、チャイフ(@chaif123)です。

先日、「誰でも書けるよエッセイ講座」という講座を受けてきました。ライフエンジンメディアでも紹介しています。講座内で実際にエッセイを1本書いてしまうのですが、そこで書き上げたエッセイは以下の記事に掲載しました。僕の今の価値観がどのようにして構築されたかがわかる内容になっていると思います。

人生初エッセイ『ヘンで自由な自分を好きと言えるまで』

講座を受けてもう少しエッセイを書いてみる練習をしたいと思ったので、今回はエッセイを元にした内容になっています!テーマは「ダイビングライセンス取得」です。

それでは!

2021年7月にダイビングライセンスを取得したぞ

2021年7月に、ダイビングのオープンウォーターダイバーライセンスを取得した。ライセンスのランクとしてはまだ上のアドバンスというライセンスがあって、ダイバーの仲間入りというか中級者というかそんな感じだ。

資格を取ったことに関して「なぜ?」と訊かれて答えるなら、僕はなんと答えるだろうか。教科書的な事実ベースで「合法的(?)に20mまで潜れる」とか「ダイビングに必要な知識や技術を体系的に学ぶため」とか色々あるかもしれないが、僕にとって、それらはウソではないがほぼ綺麗事だ。答えるなら、「すごいと言われたい」である。そして、さらに一歩踏み込むと「すごいと思った相手にアクションを起こさせたい」である。今回の場合で言うと、僕が「ダイビングのライセンスを取得したよ」と言った相手に期待する反応はこんな感じだ。

  • 「いつかやりたいと思っていたダイビングのライセンスを取った人が近くにいる。話を聴いて、自分も始めてみよう。」
  • 「すごそうな資格を取っている人間が近くにいる。自分も何か挑戦してみよう。」
  • 「なぜダイビングの資格を取ろうと思ったか興味がある。チャイフさんにもう少し話を聴いてみよう。」

その場でそう返答をしてくれなくても、時間差があってでも、「周りの人に何か影響を与えたい」というのが僕の根源的な欲求らしい。完全にエゴだ。以前「人は100%エゴで動いている」というブログ記事を書いた。これにつながるものがある。

そういえば、これ以外で資格を取得したのは、3年前にファイナンシャルプランナーの3級を合格して以来だ。このときは理由について考えたことはなかったが、モチベーションはたぶん似たようなもので、「すごいと言われたい」が大きかった気がする。

ちなみに今も「応用情報技術者」の資格を取るべく勉強をしているが、これのモチベーションは実は異なっていて、「会社の資格手当で給料が上がるから」である。根源的な欲求に則していないためなのか、なんとなくモチベーション維持に苦戦している。ただの言い訳だけど。また資格保持者である以上は「ある程度口で説明できる」というのは重要な要素だと思うが、どの資格にしてもこれがなかなか定着しなくて苦戦している。

資格…ってなに?

さて、資格というものについてもう少し考えてみる。

資格ってなんだろうか。資格って一言で言えば「”それ”ができることの証明書」だと思っている。「”資”質と適”格”がある」なのかな。「免許」の方が「”免”除して”許”諾する」だから理解しやすいかもしれない。”それ”は自動車の運転かもしれないし、フォークリフトの運転かもしれないし、危険物の取り扱いかもしれないし、ダイビングかもしれない。

資格ってただの経歴の一部でしかない。例えば、先述した「ファイナンシャルプランナー」だけど、これは本当に大したことのない資格だと思っている。もちろん検定試験の範囲はめちゃくちゃ広いしそこそこ難しいとも思っている。ただそれでも「資格を保持していること」には何の価値もない。「その資格を活かして何を為すか」こそが最も重要なファクターだと思う。「試験を受けて一発合格したけどその知識を使ってなくて知識も技術も忘れてしまったAさん」と「試験を受けてないから資格を持っていないけど個人的にお金の勉強してリアルの知識が豊富なBさん」なら、どう考えてもBさんの方が人材として価値が高い。Aさんは自動車免許で言うところのいわゆる”ペーパードライバー”だ。ファイナンシャルプランナーに関しては、僕は完全にAさんなのだ。いわば”ペーパープランナー”だ。

じゃあ僕はそんな”ペーパープランナー”たる自分を否定するかというと全くそんなことはなくて、むしろ肯定している。なぜなら、僕がファイナンシャルプランナーの資格を受けるにあたって「時間をかけて勉強した」という事実と、「合格した」という事実は揺るがないのである。「自分は何かに対してある程度勉強することはできる」「情熱を注ぐことができる」という自分に対するポジティブな教訓、「取りっぱなしになりがち」「カタチから入って満足してしまうタイプかもしれない」という自分に対するネガティブな教訓を得られている。

「大学に入った意味」ってなんだっけ?

資格の話からは外れるが、この話で思い出したのが「大学に入った意味」である。大学4年間と大学院2年間、合わせて6年間というかなり長い期間を振り返って何を得ただろうか?と考えるとつい虚無を感じてしまうことがあった。しかし、このことをある友人に打ち明けたときに言われた言葉が先ほどの言葉なのである。

「時間をかけて勉強した」という事実と、「合格した」という事実は揺るがない

さっきしれっと書いたけど、実は友人の受け売りだ。僕はこの言葉で心底救われたことを憶えている。「資格ってただの経歴の一部でしかない」と言ったが、学歴も、広い意味では資格と同じようなものである。「この人がどの程度の学力なのか」「どの程度の一般教養を持っている人間なのか」をわかりやすく示すためのラベル・記号でしかない。資格の話と対比させると、「東大卒だが仕事のできないAさん」「高卒だが仕事がバリバリできるBさん」なら、Bさんの方が人材として価値が高い。

技術や資格を獲得するのは、選択肢を増やす行為

そろそろ結論に入っていこうと思う。

先日、twitterで「技術や資格を獲得するのは、選択肢を増やす行為」だと言った。これが全てだと思っている。

その技術や資格を活かしても、活かさなくても別にいいのである。Aさんが車の運転をしていなかったとしても、それはAさんの全てを否定することにはなり得ない。「何をしていないか」に目を向けるのではなく、「何をしているか」に目を向ければいいだけの単純な話だ。

「その資格を活かして何を為すか」こそが最も重要なファクターであるという主張は変わらないけれども、「何かを為さねばならない」という義務はないのである。そんなことを言うと、進路変更ができなくなってしまう。大学の入った学部から転部してはいけないとか、学生時代の研究テーマに沿った企業に入社しないといけないとか、異業種に転職してはいけないとか、これもまた極論だがそんな道理になってしまう。もちろんそんなわけはない。資格を取ろうとするのも自由だし、資格を取ったからと言ってそれを活かすかどうかも自由なのである。

どの選択も、全部OK
  • その道の勉強もしないし、資格を取らない:OK
  • その道の勉強もしないし、資格を取る:OK(だけど合格は無理では?)
  • その道の勉強もして、資格を取らない:OK
  • その道の勉強もして、資格を取る:OK
    • その上で、資格を活かして仕事や趣味を深めていく:OK
    • その上で、やっぱり資格を活かさずに別のことを始める:OK

ダイビングライセンスも、どう使うかは僕の自由だ

めちゃくちゃ話を戻して無理やりタイトル回収するけど、僕がダイビングのライセンスを取ったモチベーションは「すごいと言われたい」であり、「すごいと思った相手にアクションを起こさせたい」である。それでいいと思っている。僕がこのライセンスを活かして友人にダイビング布教するかどうかは自由だし、世界のいろんな海を見てくるかどうかも自由だし、さらに資格のレベルを上げて自身がインストラクターとして仕事にしていくかどうかも自由である。仮にこの先僕がダイビングを継続しなかったとしても、ライセンスを持っていない人よりは知識がある状態は変わらない。なにより、ライセンスを取得するという具体的なアクションを取った僕は「すごい」のである。

それでいいと思わん?

それでは。

チャイフ

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