こんにちは、チャイフ(@chaif123)です。
みなさん、ルールを破ればどうなるかご存知でしょうか?ルールを破れば、ルールが増えるのです。
これを感じたことがある人は共感していただけるだろうし、あまりピンと来ていない人もいるかもしれません。「ルールを破ればルールが増える」というのは、私たち人間が社会的に暮らすにあたって、ごくごく当たり前に起こっている法則なのです。どういうことか説明していきますね。
それでは!
全てのルールには前例がある
全てのルールは前例に基づいています。
人類が狩猟生活をしていた頃、食料を備蓄するという発想はありませんでした。それが農耕社会になり村を作り定住することによって、倉庫に食料を備蓄するようになりました。そして時間が経つにつれて、盗みや強奪が発生したことでしょう。すると村に不利益が生じます。抽象的な表現をすると、村という社会の秩序が損なわれると言い換えてもいいです。結果、その村の中で「倉庫の食料を盗んではいけない」とか「交代で倉庫の見張りをする」などのルールが設けられるかもしれません。これが「ルールを破ればルールが増える」の簡単な例です。
現代の例を出してみましょう。
僕はよく銭湯にいくのですが、実に様々なルールが注意書きとして貼り出されています。
- お酒を飲んで銭湯に入らない
- 脱衣所ではスマホを触らない
- 風呂場に入る前に化粧を落とす
- シャワー台の場所取りをしない
- 体を洗ってから湯船に浸かる
- タオルを湯船につけない
- 長髪を湯船につけない
- 洗濯をしない
- 髪染めをしない
- サウナの中に水を持ち込まない
- サウナの中では大声で会話しない
- サウナの後は汗を流す
- 水風呂に潜らない
- 体の水を拭いてから脱衣所に戻る
何も参照していないですが、何度も見て印象に残っているため、覚えているだけでもこれだけ多くのルールがあります。ちなみにコロナ禍ではサウナの中では「私語厳禁」でした。これを守っていない人を目の当たりにして僕が静かにキレていた記事も書きました。
あなたはこれだけ多くのルールが「始めからあった」と思いますか?答えは、間違いなくNoです。過去にここに書いてあることをやった人がいて、銭湯という社会の秩序が損なわれ、おそらくクレームという形で発覚し、店側が注意書きを貼り出すという結果を経て、ルールが増えていったのです。
例えば「洗濯をしない」なんてルールを、初めて銭湯を開業した人が想定していたとは思えません。しかし利用客の中で「ついでに洗い物を持ち込んで洗濯してしまおう」と考えた人がいるのでしょう(にわかには信じられませんが)。もし注意をしても、その人は「ダメとは言われていない」と言い返すかもしれません。1人でもそうした人が出てしまうと、ルールとして明文化せざるを得ないのです。
ルールの種類
少し余談をします。
ルールルールと言いすぎて、そろそろルールがゲシュタルト崩壊していると思いますが、どんなものがあるか整理してみましょう。一言で「ルール」といってもいろんなものがありますよね。
- 国民
- 憲法、刑法、民法。
- 馴染み深いものだと、道路交通法、風営法
- 労働基準法
- 会社(社内規定)
- e.g.出張にかかる宿泊費用の上限は12,000円までとする。ただし、経済的合理性をもって出張の目的に準じた立地を選択すること。
- 学校のルール(校則)
- e.g.廊下を走ってはいけません
- e.g.学業に関係のないもの(ゲーム、トランプなど)を持ち込まないこと
- 家庭
- e.g.お手洗いは便座を下ろしてする
- e.g.夕飯の要不要は当日の昼までに共有する(急用の場合は謝罪を伝える)
- e.g.最低でも1年に1回は家族旅行に行く
- お店のルール
- e.g.料理の写真を撮影しない
- e.g.水はセルフサービスです
- 銭湯のルール
- 貸し会議室のルール
- e.g.退室する10分前には片付けを始めてください
- e.g.ゴミは全て持ち帰ってください
こうしてみると、私たちが所属しているコミュニティや場所ごとに様々なルールが設けられていることがわかります。
そもそも僕がこの記事を書いた理由は、僕が大企業にいた頃は「新たにルールが追加される」ということはほぼなかったのに、ベンチャー企業に転職してから、1ヶ月単位でどんどんルールが増えていった体験談が元になっています。大企業では”前例”だらけですでに大量のルールが制定されていたのに対して、創業から間もないベンチャー企業では”前例”がほとんどなく、ルールが少なかったことが理由だと思います。「確かに必要だし明文化すべきだな」と思うルールもあれば、「これを明文化して縛られるのは少し窮屈に感じるな…」と思ってしまうルールも中にはありますね。
ルールを守る理由の1つは、ルールを増やさないためだった
閑話休題、本題に戻ります。
このコラ画像は僕が作ったのですが、1コマ目の「破った」ルールは、暗黙の了解・性善説に基づいて明文化されていなかった領域のルールです。先程の例でいえば「洗濯をする人なんていないだろう」です。そして3コマ目の「増える」ルールは、明文化されるルールです。先程の例でいえば「洗濯をしない」です。
つまり、私たちが守るべきルールは2種類あるのです。1つが、後者の明文化されているルール。これを守るのは当たり前というか簡単というか、ここに異論の余地はないはずです。大抵の場合破った人には罰が与えられます。そしてもう1つが、前者の明文化されていない暗黙の了解・性善説に基づいて明文化されていなかった領域のルールです。これを守るのが個々の良心や判断という非常に曖昧なものに基づくため、難しいです。破ったとしても明文化されていない以上罰を与えづらいです。
ただ、私たちがこの「明文化されていないルール」の方を守ることには大きなメリットがあります。「明文化されていないルール」を守ることは、必要以上にルール(規制)を増やさないことに繋がるのです。「自分たちが属する環境を守るため」と言い換えてもいいです。
「明文化されていないルール」を破る人が現れると、組織(社会)はルールを増やさざるを得ません。「明文化されていないルール」を破る人を放置する方が組織にとって悪だからルールを作りますが、ルールを増やせば増やすほど少しずつ窮屈になります。「明文化されたルール」も、いわばアーマーのように環境を守ってくれるものですが、重すぎるアーマーはかえって不利益となるのです。
だからこそ、その組織(社会)に属する個人個人が、「明文化されていないルール」を守ることが重要なのですね。
「明文化されていないルール」を守るかどうかは個人の自由
いかがでしたでしょうか。
ついさっき僕はこのように言いました。
しかし、「明文化されていないルール」「暗黙の了解」なんてこの記事の中で説明するために僕が言い出した虚構ですし、守る・守らないを徹底できるはずがありません。それにある程度は明文化されたルールが制定されていく方が、組織としては健全とも言えるかもしれません。
ただお伝えしたいことは、もし新しいルールが制定されたとしたら、残念ながら次の3つの事実があるということです。
- 組織内の誰かがそれを犯した
- その行為が組織にとって何らかの形で不利益だった
- 一度制定されたルールが消滅することは二度とない
「このラインから出ちゃダメですよ〜」というラインが引かれていない状態で、でも「それはアカンやろ」というラインを超えた人間が1人でもいたら、「超えてはいけないライン」が明確に引かれ、そのラインは二度と消えないのです。そしてそのラインは意地悪でも何でもなく、組織を守るためなんですよね。
それを理解した上で、まぁ僕たちの社会生活はほとんど変わりません。「明文化されたルール」をまずは遵守しつつ、「明文化されていないルール」を適度に守っていくだけです。その”適度”の程度が人による、というだけですね。
それでは。
チャイフ