こんにちは、チャイフ(@chaif123)です。
僕は大学時代に多くの時間を費やしたものとして麻雀とテニスがあります。この2つは、屋内で行うボードゲームと屋外で行う球技ということで、ルールも性質も全く違うのですが、両者にある共通点を見出しました。それは、麻雀もテニスもメンタルゲーである、ということです。僕は、たいていのことは一定以上のレベルからは全てメンタルゲーになるとは思っているのですが、特に麻雀とテニスには共通する要素が多いなぁと思い、今回はそんな話をしたいと思います。
それでは!
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麻雀とテニスの認知度は高いと思っていいですよね
ちなみに、麻雀ってやったことありますか?「名前は知ってるし、なんとなくわかるけど、やったことはない」という人が多い気がしています。「男性は比較的やっている人が多いイメージ」というのも、偏見ですがわかる気はします。笑
また、テニスはやったことありますか?部活やサークルで練習し、試合に出るような人や、学生時代に体育でやっただけの人もいれば、ラケットを握ったことすらない、という人もいるかもしれませんね。
麻雀もテニスも知名度は非常に高く、全員が少なくとも「なんとなくわかる」状態であると信じています。
麻雀とテニスはメンタルゲー
冒頭でもお話しした通り、麻雀とテニスはメンタルゲーです。
では、それぞれどんなふうにメンタルを試されるゲームなのでしょうか。
麻雀は、攻め時と守り時の見極めが重要
麻雀の簡単なルール説明をします。
- 4人で行うボードゲーム
- 最初に全員に配られる25,000点
- 合計100,000点を奪い合うゼロサムゲーム
- 役を完成させて他のプレーヤーから点数を獲得することを「アガる」と呼ぶ
- ゲームの小単位を「1局」と呼ぶ
- 少ない例外を除けば1局ごとにアガれる人は1人のみ
- 誰かがアガればその局は終了し、2局目に入る
- 1ゲームあたり4局あるいは8局で行うことが多い
- これは、4人のプレーヤーが親番を同じ回数担当するため、4の倍数になっている
- 8局を1半荘(ハンチャン)と呼ぶ
「1局ごとにアガれる人は1人のみであること」。この点が、麻雀を難しくしていると思っています。ルールの詳細は割愛するのですが、麻雀のプレー中に何かしらの”ミス”をすると自分以外の3人の誰かがアガってしまいます。自分以外の誰かがアガると自分は点数を稼がないので、ゼロサムゲームにおいて負けてしまいます。したがって、”ミス”をしないためには、「守る」必要があります。しかし、ずっと「守る」をしていては、自分の手を進めることができず、アガることができません。自分がアガるためには、「攻める」必要があります。
ここにジレンマがあります。同じゲーム中に「攻める」と「守る」を共存させる必要があり、どこまで踏み込んでいいのか、どこからは引かなければならないのか、そのせめぎ合いが麻雀の最も難しく、そして最も面白い点であると思っています。
テニスも、攻め時と守り時の見極めが重要
テニスも同じです。僕は中高大とテニスをしていたので、試合をしていく中でテニスがいかにメンタルが重要なスポーツであるかを実感しました。
テニスは2人で行うスポーツで、テニスコートという限られたエリア内でテニスボールをラリーするスポーツです。
- テニスボールをノーバウンドあるいはワンバウンドでラケットに当てて返球すること
- 返球したボールをネットせず、かつ相手のコート内にバウンドさせること
基本ルールはこれだけです。これらを犯さなければ、つまり”ミス”をしなければ理論上テニスは負けません。”ミス”をしないためには「守る」必要があります。しかし、ただ返球を続けているだけでは、おそらく相手も”ミス”をしないので、なんとかして相手に”ミス”をさせる必要があります。相手に”ミス”をさせるためには相手が返しづらい返球をする、つまり「攻める」必要があります。
ここでも、同じゲーム中に「攻める」と「守る」を共存させる必要があるのです。この点で、テニスも麻雀と同じ要素を含んだゲームであると言えます。
僕が「麻雀はメンタルゲーだ」と実感した瞬間
さて、僕が麻雀をやる中で「麻雀はメンタルゲーだ」と気づくまでの話をします。
僕は大学生になってから本格的に麻雀を始めました(?)。
大学1回生の頃は、アガると嬉しく楽しく自分は強いのではないか?と慢心し、アガられると残念な気持ちになり眉をひそめときには怒りを覚えていました。珍しく高い役をテンパイすると口数は減り心拍数は上がっていました。勝ちが続くと何をしても勝てる気分になり、負けが続くと何をしても負ける気分になり、楽しくなくなっていました。1局1局、1半荘1半荘に一喜一憂し、その度に心を上にも下にも揺さぶられていました。
これがスタートです。その後、長い期間同じ人たちと打っていく中で、多くの気づきがありました。
「今日の勝ち負け」に振り回されていた事に気づいたとき
1つ目の気づきは、「今日の勝ち負け」に振り回されていたことです。
それは「自分が負け始めると止まらない」という仮説から始まりました。”仮説”と言っているのは、実績としては信憑性は高いのですが、理論的には違和感があるためです。なぜなら、僕は長期間のトータルとしてはそれほど負けていないのに、ある1日を取り出してみると極端に負けている日がある、ということです。結論として、僕は1日の中の勝ち負けの流れに影響されていたことに気づきました。「昨日の勝ち負け」と「目の前の1半荘」は気持ちを切り替え、別物と捉えられているのに対して、「今日の勝ち負け」と「目の前の1半荘」は気持ちを切り替えられておらず、「負けを取り返したい」とか「もっと勝ちたい」と思ってしまっているのです。
これはいけません。麻雀は「目の前の1半荘」「目の前の1局」「目の前の1打」に対して真摯になるべきです。前の半荘の勝ち負けを気にしていては、攻めるべきときに守ってしまったり、守るべきときに攻めてしまったりします。点棒状況は気にするべきですが、自分の財布の中身を気にしてはいけないのです。
感情を持ち込んでいたとき
2つ目の気づきは、麻雀に感情を持ち込んでいたことです。
麻雀はある意味スポーツであると思っていて、楽しくやることはいいことです。本気になることもいいことです。しかし、熱意や気合で勝てるものではありません。実際のプレイングとしてはあくまでも機械的に、理論的に、最善手を打ち続けることが重要になります。このような考え方は麻雀の世界ではよく”デジタル”と言われます。
先ほど言った通り、麻雀を始めた頃の僕は1局1局、1半荘1半荘に一喜一憂していました。これでは勝てません。安定しません。「これまでとこれからで数千半荘打っていく中でのたったの1半荘」と捉えられる、達観したメンタルを獲得することを目指します。
もちろん、麻雀にはコミュニケーションツールとしての側面もあるため、会話は楽しみます。ゲーム自体は楽しみます。しかし、目の前の一打の選択要素に感情は持ち込まない、この覚悟が必要なのです。
結果論を持ち込んだとき
3つ目の気づきは、麻雀に結果論を持ち込んでしまったときです。
麻雀に「もしも」なんてないのです。自分が打牌をした後、次のプレーヤーの打牌でその選択が結果的に間違っていた、なんてことは100万回起こり得ます。その度に一喜一憂していてはキリがありません。自分の打牌だけに全力になるべきなのです。自分の選択こそが自分にできる唯一にして最大のアクション。結果がどうなるかは他のプレーヤーの行動によって無限に変わってしまいます。それを嘆いて「もっとこうしておけばよかった」と後悔したり心を揺さぶられるのは本質的に無意味です。
自分の選択に迷いが残っていた場合、他のプレーヤーの打牌がどうであっても必ず後悔すると思います。だからこそ極限まで考え抜き、自分が打牌したその瞬間においてはその打牌は最善だったと自分を信じられるかどうか。これだけなのです。
麻雀を打つときは、笑顔で、しかし心は真顔で
いかがでしたでしょうか。
テニスに関してどこがどうメンタルゲーなのか?という話をしてもいいんですけど、長くなりそうだったので割愛しました笑。「テニス メンタル 重要」でググって一番上に出てきた記事を置いておきます。
麻雀を打つときに心がけていることは、笑顔で打つこと。しかし心は真顔で打つこと。「心が真顔」というのは、もちろんイメージの話です。できるだけ平穏を意識して、機械的にプレーすることを意識する、という意味です。
ブレない心で打つ麻雀を通して、メンタルを鍛えていきましょう。
それでは。
チャイフ
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