自分の手札を知り、相手の手札を補うことを考える

基本的には人生の進め方に満足しているのだが、定期的に不安が襲ってくることがある。そのうちの1つ、キャリアに対する不安が、またやってきたのだ。

目に見えない成長

「この1年で何か成長したか?」という、誰にも訊かれていない、自分の頭の中で浮かんだ質問に対して答えられない。

何かしらの経験は積んだかもしれないし、なんなら新しい資格取得もした。けれど、自信を持って「これができるようになった」と答えられない感覚がある。

僕はIT企業でマネージャーとして働いている。それなりにプロジェクトを回したりはしているが、プログラミングができるわけでもないし、契約・法務関係に特別明るいわけでもない。「このままでは価値のある人材として生き残っていけないのではないか?」そんな不安が頭をよぎってしまう。

この原因はひとえに、「成長」というものが目に見えないからだろう。RPGのように「テレレレッテッテッテー♪レベルが上がった!」とファンファーレがなるわけでもないし、「ステータス」から自分のパラメータを確認できるわけでもない。日々の中で何か「学びだ!」と思うことはあっても、大局的に見たら何も変わっていないような気がしてしまう。

周りの「できる人」が目に入る

Aさんはプログラミングができる。Bさんは契約関係に明るい。Cさんはどちらも強い。そんな「自分の持っていないものを持っている人」を見てしまうと、その度に劣等感を感じることがある。

「それに比べて自分は」は最悪のマジックワードだと思っている。これを脳裏に浮かべる回数が多いほど、人生はアンハッピーになっていくと思っている。

冷静に考えてみる。「全てができる人」はいない。そして、先ほど「できる」と書いた人たちも、「全く穴がないか」というとそうではない。そして「自分は何もできないか」というとそうでもない。

そうなんだよ。

みんなどこか欠けていて、不完全で、その中でできることを精一杯やっているのだ。

まずは持っている手札で。手札を増やしたければ増やす。

できないことは人に頼ればいい。人ができないことを代わってあげればいい。自分が持っている手札の中でできることをすればいい。

もし「もっと貢献したい」「もっと手札を増やしたい」と思ったなら、増やせばいい。勉強したり、練習したりして世の中の知識やノウハウをドローしてみればいい。しかし「手札を増やさねば」と感じる必要はない。まずは自分の手札をしっかり知って、その活用の仕方を考える方がいい

たまにいる「なんでもできる人」に気を取られないこと

この考え方でノイズになるのが、たまに「なんでもできる人」がいることだ。自分の手札、「自分ができること」を全部持ってて、その上で自分が持っていない手札を3枚も4枚も持っている人。世の中にはやっぱりいるのだ。

そして、ポーカーでもブラックジャックでも同じで、「明らかに強い人とは戦わない」ことが大事だったりする。時にはオリる。違う人と戦う。違うテーブルに移動してみる。そんな単純な考え方を、「なんでもできる人」を目の前にすると面食らって忘れちゃったりする。

いつも目を向けるべきは、自分の手札。「自分が何をできるか」だけを考えればいい。「なんでもできる人」に対しては、ある意味自分の手札を提示してあげる必要はない。その人は”やっていける”から。そんな人は放っておくか、存分に助けてもらえばいい。

それよりも、あなたの手札でサポートできる手札構成の人を見つけて、サポートしてあげればいい。スーパーマンのCさんに助けてもらったからといって必ずしもCさんに「恩返し」をしなくても、Dさんに「恩送り」をする、でもよいのだ。相手の手札を気にするなら、その視点がいい。自分と比較して自分の不足を嘆くのではなく、自分と比較して補い合うことを考える方がよほど優しくて、よほど建設的だ。

できることをする。気が向いたらできることを増やす。

あぁ、自分の不安はなんだったのだろう。スッキリした。

僕には僕にしかできないことがあった。真摯な対応。公平な対応。準備をすること。整理をすること。メンタルケア。リマインド。ドキュメント化。スケジューリング。

できることをする。気が向いたらできることを増やす。それだけだ。

チャイフ

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