こんにちは、チャイフ(@chaif123)です。
自己啓発本、読んでますか?世の中には実にたくさんの自己啓発本がありますよね。
僕はそれほど多くの本を読んだわけではないのですが、日常生活で実践する中で、「あの本のコレとあの本のコレ、実は同じことを言ってる」ってことに思い至りました。まだまだ他にもあるかもしれませんが、いくつか挙げてみたいと思います。
それでは!
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抽象度の高いことを言っている本は共通してくる
「自己啓発本」と一言で言っても、いろんな抽象度があります。
たとえば、日本中でめちゃくちゃ売れていて僕自身もとても参考にしている『嫌われる勇気』や『7つの習慣』あたりは、かなり抽象的で普遍的なことが書いています。
逆に、『夢をかなえるゾウ』や『人を動かす』あたりは、めちゃくちゃ具体的なアクションプランがひたすら書かれていて、愚直に実行する、ということがやりやすい書き方になっています。もちろん、具体的なアクションが書かれていたとしても、その狙いを紐解いていくと、抽象度をあがっていくことになります。
いろんな人がいろんなことを書いているけれども、書き方やストーリーが違うだけで、抽象度をあげればほとんど同じ概念を指している、ってことはけっこうある気がするんですよね。
人によって、自分の状態によって、感じ方が変わる
著者によって書き方が違うので、もちろん具体例も違いますよね。例えば、仕事上のコミュニケーションを具体例として挙げられていると、まだ社会に出ていない学生や、がっつりビジネス現場ではない職種の人にはあまりピンと来ません。
また、同じ本を読んでもそのときの自分の状態によっても感じ方が異なります。たとえば、学生の時に読むのか、新社会人の時に読むのか、社会人10年目の時に読むのか、で全く感じ方が異なるでしょう。それに、自分が苦境にいる時に読むのか、うまくいっている時に読むのか、などでも異なると思います。
自分に刺さった本を1冊持っておく
世の中には本当にたくさんの自己啓発本がありますが、「すべてを読まないと」と思わなくていいと思います。
前述の通り「ほとんど全ての人に当てはまる内容が書かれている本」もあれば、「合う・合わないが人による内容が書かれている本」もあります。
たまたま自分に刺さった本を1冊持っておけばいいのです。「刺さる」というのは、要するに「その本を読んで大きなショックを受けた」ってことですね。
「自己啓発本を何冊も読んだ」こと自体には実はそんなに意味がなくて、それは「自分に刺さる本を探す過程」だと思います。見つかったら、その本を定期的に、例えば1年の初めに読むとかをすればいいのです。
『7つの習慣』と同じことを言ってるやつ
僕に刺さってかつ実践をしている『7つの習慣』を軸に、「これって同じじゃね?」っていうのを話します。
第1の習慣「主体的である」刺激と反応の間
第1の習慣「主体的である」の小項目に「刺激と反応の間」があります。
刺激と反応の間には選択の自由がある、と言われています。刺激、つまり周りでどんなことが起ころうとも、それに対してすぐ反応するのではなく、自分の価値観に基づいてどう振る舞うかは選択することができる。
『嫌われる勇気』の目的論
少し違いますが、『嫌われる勇気』の目的論でも説明できます。目的論とは、まず目的があって、その目的に辻褄が合うような感情を後から用意して生み出している、とする考え方です。
『嫌われる勇気』で出されている例を取り上げると、たとえば喫茶店でウェイターが誤ってこぼしたコーヒーが上着にかかってしまった際に、「ついカッとなって大声を出した」ということがあったとしても、それは「怒り→大声を出す」という順番ではなく、目的論では「大声を出すために、怒りという感情を生み出した」と捉えています。さらにその上には、「威圧する」「上の立場に立つ」があり、その上には「謝罪をさせる」「弁償させる」などの目的があるかもしれません。「大声を出す」は手段であり、それを正当化するために「怒り」という感情を生み出している、としています。
もちろんその間には数秒も思考の間がなく、一瞬の出来事かもしれません。しかし、「刺激と反応の間」はあるはずで、反応的にならないことが重要です。また「弁償させる」目的を果たすだけなら、必ずしも大声を出す必要はないかもしれません。あくまでも「ついやってしまった」ではなく、「それを自分で選択している」「それは自分で選べる」とする考え方ですね。
『スタンフォード大学の超人気講座 実力を100%発揮できる方法』の「賢者の視点」
また少し文脈は違いますが、『スタンフォード大学の超人気講座 実力を100%発揮できる方法』で説かれている「賢者の視点」も近い気がしています。
「賢者の視点」とは、あらゆる結果や状況を贈り物やチャンスとして受け入れるものの見方です。一方「裁判官の視点」とはほとんどの結果や状況を”悪い”とみなし、決めつけ、裁き、他人のせいにしたり状況のせいにしたりするものの見方です。裁判官の視点は視野が狭く短期的で、刺激を受ければすぐ反応的にジャッジしてしまいます。裁判官を弱体化させて賢者の視点に立つには、トレーニングが必要なのですが、「すぐ反応しない」という意味では、「刺激と反応の間」や「目的論」ともつながると思います。
第1の習慣「主体的である」関心の輪・影響の輪
続いて、第1の習慣「主体的である」の小項目に「関心の輪・影響の輪」があります。
2つの輪は同心円で、内側から順番に影響の輪、関心の輪があり、関心の輪の外側は「関心すらない」領域です。
影響の輪は、自分の言動や働きかけによって影響を与えられる、直接的あるいは間接的にコントロール可能な領域です。関心の輪というのは、コントロールできない領域です。『7つの習慣』では、この影響の輪にこそエネルギーを使い、影響の輪を広げていく意識を持ちましょう、ということを説いています。
たとえば、僕にとって、政治や戦争や芸能ニュースは関心の輪に入ります。テレビやネットでニュースを見るとそういった情報は入ってきますが、それらに対して気を揉んだりイライラしても、自分が疲れるだけで何もいいことがありません。
『嫌われる勇気』の「課題の分離」
これは、抽象化すれば『嫌われる勇気』の「課題の分離」とも同じだと解釈しています。「課題の分離」とは、相手の(他人の)課題に過度に踏み込もうとせず、自分の課題に目を向けよう、という内容です。「課題の分離」はこと人間関係に関しての話にフォーカスしていますが、「影響の輪」と「自分の課題」は、表現と文脈こそ違えどかなり近い概念だなぁと思っています。
自分に刺さる本を見つけて、その1冊だけを何度も読み直す方がいい
他にもあるかなあと思って色々読み返そうとしましたが、さすがに本を読むのはそこそこ時間もかかるので、この辺にしておきます。
自己啓発本に限らず、仏教やキリスト教などで説かれていることや、偉人の格言のようなものも、実は抽象的なところでは繋がってたりします。
繰り返しになりますが、自分に刺さった本があれば、バイブルとして何度も読み直すということをオススメしますし、僕自身もそうしていきたいなと思います。
『7つの習慣』は数年前に読み終わって以来、そういえば読み直したことがありませんでした。この機会に、読み直してみようかなと思います。
それでは。
チャイフ
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