こんにちは、チャイフ(@chaif123)です。
僕たちは日々、いろんなことに対して「めんどくさい」と思っている。
それを、どうにかこうにか対応して、日々を過ごしている。
今回の記事は、この「めんどくさい」という脳のバグに対抗するための1つの提案である。

それでは!
Contents
「めんどくさい」について
まず、前提として「めんどくさい」について共通認識を持っておきたい。
「めんどくさい」=「やるべきタスク」+「コストを感じる」
「めんどくさい」とは、「やるべきタスクだが、やることに対してコストがかかり、それがイヤ」という状態である。
例えば、
- 勉強しないといけないけど、めんどくさい。
- 家事をしないといけないけど、めんどくさい。
- メールの返信をしないといけないけど、めんどくさい。
そんな感じ。
「めんどくさい」には「やるべきタスク」が内包されている
重要なことは、「めんどくさい」には「やるべきタスク」が内包されている、ということである。つまり、めんどくさいと思ったことほどやった方がいい、ということだ。
なので、建設的に(ドライに)考えると、
「めんどくさいにどう向き合うか」という感情的な問題設定は、
「めんどくさいと感じるときに、いかに自分を騙して動かすか」という理性的な問題設定に帰着させられる。
脳の「サボり機能」がコストを感じさせ、めんどくさく感じる
人間の脳には生存本能としての省エネ機能、いわば「サボり機能」が備わっている。「めんどくさい」という感覚は、まさにこの脳の「サボり機能」に起因するバグである。

この「サボり機能」は非常に厄介だ。なぜなら、「君のために良かれと思ってやっているんだぞ」という味方のような顔をして近づいてくるからだ。

なにせ、他でもない自分の脳でもある。その声を無下にすることはなかなかできないだろう。


めんどくさいけど今が一番めんどくさくない
さて、今回の本題に入る。
その”めんどくさい”、いつやるの?今でしょ。
僕たちはあるタスクに対して「めんどくさい」と感じることが日常茶飯事だ。ただ、先述の通り、「めんどくさい」には「やるべきタスク」が内包されている。もう少し言うと、その「やるべきタスク」は「いつまでもなくならない」のだ。
要するに、脳がいくら「サボり機能」を発動させて「やりたくないやりたくない」とサボらせようとしても、その「やるべきタスク」はなくなってくれないのだ。
つまり、いつかはやらないといけない、ということだ。
じゃあいつやるのか。
某有名予備校講師の名言よろしく、「今でしょ」というシンプルな結論になる。
一度忘れて思い出す方がコスト(=エネルギー)がかかる
「めんどくさい」という感覚には、実は脳を騙し返せる隙がある。それは、「今が一番めんどくさくない」という捉え方だ。
- 「あれ、何をやろうとしてたんだっけ」
- 「何をやろうとしてたか忘れてしまった」
- 「えー、確かやらなきゃいけないことのはずなんだけどな…思い出せない…」
思い当たるフシがないだろうか。僕はよくある。
「覚えておく」ことは脳のメモリを使うことになるから、脳の「サボり機能」はエネルギーを節約すべく一部の記憶を忘れさせようとする。しかし事実として「やるべきタスク」はなくならない。なので、僕たちは必要に駆られてタスクを思い出そうとする。そして「思い出す」ために、余計にエネルギーを使うことになる。
アホとしか言いようがない。バグofバグ。これが人間である。
「今やる」のが最もコストが低い
そういうことなら、逆に考えようじゃないか。
「今が一番めんどくさくない」と捉えるのだ。「一度忘れて、また思い出すのが余計に疲れる」のであれば、「今やってしまうのが最もコストが低い」と考える。



いくら脳がサボらせようとしたとしても、そのコスト(=エネルギー)は「どうしてもかかってしまうもの」なのだ。であれば、理性的に考えれば、その声は無視していい。
むしろ、「今やる」のが最もコストが低い。
10回に1回でも脳のバグに抗えたなら
めんどくさいけど今が一番めんどくさくない。
これは「めんどくさい」という脳のバグに対抗するための1つの提案である。もう少し丁寧に表現するなら、「いつやったとしても結局めんどくさいのが変わらないなら、今やってしまうのが一番めんどくさくない」だろうか。
…とはいえ、脳の「サボり機能」は非常に強力である。頭で分かっていても、その声に抗えないことも多い。
ただ、日常茶飯事として「めんどくさい」と思ってしまう生活の中で、10回に1回でも「今やっちゃお!」と思えたなら、この捉え方をお伝えした甲斐があるというものだ。ぜひ参考にしてみてほしい。
それでは。
チャイフ







