こんにちは、チャイフ(@chaif123)です。
『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』の映画を観てきました。
もうそろそろネタバレ記事を書いてもいいんじゃないかと思い筆を取りました。
本記事では、地上波で放送された1クールある方を「TVシリーズ」と表記しています。
それでは!
(※ここからネタバレ)
(※印象に残ったシーンをモロに言及しているので、見ていない人はいますぐブラウザバックしてください!劇場版やTVシリーズを見ていない人は、これ以上スクロールしたら目の前の液晶が吹き飛ぶと思ってください)
(※目次を見ることも許さん)
(※ていうか、見てない人は【ネタバレあり】って書いてるのに何で記事クリックしてるの?バカなの?)
Contents
とにかく語りたいことを書きます。
よろしくお願いします。
開始1分で「あの家」
見た人はわかると思いますが、劇場版は時系列的にTVシリーズの後の話です。
冒頭で、おそらくはTVシリーズを見ていない人向けに、イントロの部分で世界観や、主人公がどのような人物かなどの説明が入ります。
ですが、その説明のための冒頭シーンは、 TVシリーズを見ている状態で見るとエモエモのエモでしかないわけです。
だって「あの家」ですよ、みなさん!
TVシリーズ第10話。アンの話です。
あの視聴者全員が膝から崩れ落ちたと噂のTVシリーズ第10話です。
あの家が映っただけで、手で口を抑え、涙する人もいたのではないでしょうか…
映像がキレイすぎる
特定のシーンではないのですが、劇場で見るとなおさらその映像美が圧巻ですね。
TVシリーズのときからずっと映像は綺麗でしたが、特に感じました。
最後の海のところとか、めちゃくちゃリアルですよね。
さすが京アニ先生。
ユリスとリュカが電話するところ
劇場版で最も重要なシーンだと思います。
ユリスが事切れた後に手紙を読むところもめちゃくちゃヤバいんですが、僕が涙腺崩壊したところは電話のシーンでした。
1人の人間、しかも子供が、今まさに死のうとしている人間が、友達に向かって言う言葉が「ありがとう」なんです。
そ…そうか…そうなのかもしれないけど…そうか…(?)(言語化するのが野暮だと思い、言語化できない)
とにかくヤバい…あれはヤバいです…。
涙腺崩壊とはこういうことを指すのかと、言葉の意味がアップデートされました。
目から涙が出るだけではなく、感情が昂りすぎて嗚咽が止まらなかったです。公共の場である以上、声を出さないようにするのに必死でしたが、周りでも嗚咽や鼻水をすする音が聞こえてきていたような気がします。
個人的に映画館で声を出してしまったのは『カメラを止めるな!』以来です。
ヴァイオレットが船からジャンプするシーン
後半ですね。
ギルベルト大佐がダッシュして、ヴァイオレットが気づき、甲板へ駆けていき、そのままジャンプ!
(えええええええええええええええ!!!!!!???)
と、個人的には思いました。
「とはいえもう船が出港してしまった後だから会うことはできなかった」になるのだと思っていました。
つまり、ヴァイオレットにとっては大佐に会って話をすること、想いを伝えること、「愛してる」に対する返事をすること、これらがすでに生きる目的であり、「服が濡れちゃう」などという心配事は、映画館で飲むドリンクとしてコーラとジンジャエールのどちらが適切かくらいどうでもいいのです。
なので、ヴァイオレットがポーンと飛び込んだときにはめちゃくちゃ驚きました。というか、「おおっ」と声を出してしまいました。
個人的に映画館で声を出してしまったのは、ユリスとリュカが電話するところで泣いて以来です。
最後のサムズアップ is 何
もう残り5分10分というところ、デイジーの時間軸で、郵便局のおっちゃんがサムズアップ(親指を立てる動作)するじゃないですか。
あれ、どういう意味なんですかね?
まず誰しもが考えるのは、ユリスがヴァイオレットに対してやっていたジェスチャーです。ただ、デイジーの時間軸はヴァイオレットが現役の時代から2世代後であり、しかも場所も全く違います。
あの世界全体で、サムズアップが何かしらの意味を持っているならばまだ理解できるのですが、サムズアップは劇場版が初出です。
また、ユリスが家族以外にコンタクトを取っている描写もありません。
「全てを描写しないことによって余白を生み出し、視聴者に想像する隙を与える」というのはアニメ作品においてはよくある手法ですが、少し遠すぎて繋がらないですね…
もし「こういう意味じゃね?」という意見があれば教えてくださると幸いです。
「想いを伝える」にもいろいろあるんですね…
いかがでしたでしょうか。
この記事を書いた後、気になっていくつか感想記事を検索してみたのですが、言語化うますぎマンがいました。
http://blog.livedoor.jp/fukukan2009/archives/52344002.html
本作は導入からそうした(TVシリーズで描いていた)「物理的距離」と「時間的距離」の物語を踏襲するのかと思いきや、「心理的距離」という新たな距離を描いていく。ユリスは家族に物理的に言葉を伝えることができるのに、素直にそうすることができず、手紙という方法を選ぶ。そして後にヴァイオレットもまた、声の届く場所にいるギルベルトに対して同じように手紙を渡すことを選ぶのだ。
「伝えなければ伝わらない」と色々な形で示して、そのために手紙を中心に「伝える方法」を色々と提示しておいて、最後の最後に「言葉にしなくても伝わる」とひっくり返したのだ。
それな^〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜(語彙)
一言で「想いを伝える」と言っても、人はそんなに単純な生き物じゃなく、だからこそ尊く、美しいのだと、TVシリーズから映画まで通して、考えさせられますね。
いやはや、尊い作品ですね…以上です。
それでは。
チャイフ
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