それは歪んだ完璧主義ですらなくて、ただゴチャゴチャ言ってやらない言い訳を並べているだけだなと思う
今回はその”やらない理由”がたまたま「いつもはしないのにこんな時だけ掃除をするなんて、偽善に思えるからやらない」だっただけの話で。
学生時代におそらく僕が初めて聞いたフレーズである「やらぬ善よりやる偽善」。これをふと思い出して、意思決定の重要な要素があるような気がしたので、ちょっと書いてみた。
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研究室の掃除に精を出すかどうか
研究室にいた頃、たまに研究室内の掃除が行われていた。
生徒と近い立場で接してくれていた助教の先生と共に、4回生、修士1回、修士2回(以後、M1,M2)の学生たちがゴミ捨てや、掃き掃除や、段ボールを縛るなどの掃除をする。
僕は当時4回生だったのだが、ちょっとサボりたいM2の先輩Aが、キビキビ作業を進めるM2の先輩Bに対して、冗談含みだが「この偽善者め!!」的なことを言った。
それに対して先輩Bは、「やらぬ善よりやる偽善やろ」と即レス。即レスすぎて、それを横で聞いていた僕は「このやり取り初めてじゃないんだろうなぁ」と思いつつ、この返しに妙に納得してしまった。
この場合の善と偽善は何を意味していたか
この場合、善とは「この研究室を綺麗に保つことは大切なことであるという考えの元、しっかりと掃除をする」みたいなことだと思う。
逆に偽善とは「先生に言われたから、あるいは先生からの評価を上げようとして素行を正す意味で、しっかりと掃除をする」みたいなことだと思う。
ここで重要なことは、どのような背景や狙いがあるにせよ、最終的には「しっかりと掃除をする」が共通している点である。
思い描いたベストでなければ、すべてやる意味がないのか?
ここで僕が言いたいのは、歪んだ完璧主義に陥る危険性である。(ちなみに先輩Aはただサボりたくて先輩Bを揶揄っただけで、決して完璧主義ではない。)
例えば「完成度の高い記事だけを書きたいと言って、ブログの更新自体が全然されない」とか「筋トレするならちゃんとジム行って高効率でやりたいと言って、そもそも筋トレをしない」とかそういうやつだ。
ベイビーステップでも行動した方がいいに決まってる。1回の試験で100点を目指すより何回も試験を受けて点数を上げていく方がいいに決まってる。
そういえば、完璧主義をググってみた。
完璧主義とは、必要以上に高い目標を設定し、万事が整った状態を目指し努力する特徴や性格を指します。(by タウンワーク)
心理学ではちょっと違うニュアンスになるらしい。
完璧主義とは、心理学においては、万全を期すために努力し、過度に高い目標基準を設定し、自分に厳しい自己評価を課し、他人からの評価を気にする性格を特徴とする人のこと 。定められた時間、限られた時間の内にて完璧な状態を目指す考え方や、精神状態のことである。(by Wikipedia)
「やるからには努力する」が完璧主義で、「もっとうまくできそうだからやらない」は歪んだ完璧主義な気がしている。
というかそれは歪んだ完璧主義ですらなくて、ただゴチャゴチャ言ってやらない言い訳を並べているだけだなと思う(ちなみにこれはクソデカブーメランで、自戒でしかない)
先日書いた行動のネックに関する記事にも繋がる話だったりする。
今回はその”やらない理由”がたまたま「いつもはしないのにこんな時だけ掃除をするなんて、偽善に思えるからやらない」だっただけの話で。
「やった方がいいんだろうな」と思いながらやってないことは、やろうな
人は社会的な生き物であるので、誰しも自分の社会における立ち位置というものを気にかける。「人からどう見られるか」は、日々の行動の中で重要な要素であるのは間違いない。
その上で、私たちは日々選択を繰り返している。その選択が行動となり、習慣となり、人生になっていくわけだが、その選択として何かを「やる」と決めるからには同時に何かを「やらない」と選択していることと表裏一体である。その選択肢を断つことから、選択はしばしば ”決断”とも呼ばれる。
ただ、その「やらない」という選択・決断を、「人からどう見られるか」ばかりを気にして選んでいるとしたら、それを積み重ねた人生はあまり想像したくないな。偽善だろうがなんだろうが、自分が「やった方がいいんだろうな」と思うことはやったらいいんだと思う。
「やった方がいいんだろうな」と思いながらやってないことは山ほどある。僕もそうだが、あなたもそうではないだろうか。ただ、自分でも「やった方がいいんだろうな」と思っているのだ。なんでやらないんだろうか?
先輩Aに言わせれば「やった方がいいと思うことはやったらいいやんけ」になるのかもしれないね。全部やろう?
チャイフ
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