こんにちは、チャイフ(@chaif123)です。
過去は、変えられません。
しかし、過去に縛られる必要もありません。
未来を決めるとき、過去は関係ありません。
関係ないというか、過去は1つの参考情報に過ぎないのです。
こんにちは、チャイフ(@chaif123)です。
…そう、これまでの記事で1回しか名乗ってなかったとしても、「この記事でも2回名乗ってはいけない」なんてルールはないのです。。。
それでは!
Contents
トラウマは存在しない
元ネタは『嫌われる勇気』です。
『嫌われる勇気』はアドラー心理学をもとにしており、哲学を説く哲人と、その内容を信じようとしない青年の対話形式で進んでいきます。
- 怒るのは「怒りたい」と自分で選択している
- 過去に囚われて必要以上に嘆いたり怒ったりする必要はない
『嫌われる勇気』の本を持っていない()ので、引用ではないのですが、このような内容が書いてあります。
そして、『嫌われる勇気』の中では「トラウマは存在しない」という語り口になっています。
トラウマとは?
「トラウマ」でググってみました。
心的外傷(しんてきがいしょう、英語: psychological trauma、トラウマ)とは、外的内的要因による肉体的及び精神的な衝撃(外傷的出来事)を受けた事で、長い間それにとらわれてしまう状態で、また否定的な影響を持っていることを指す。(Wikipedia)
少なくとも、医学の世界では存在する概念ですね。
精神科という分野もあり、実際に重症になるケースもあるとは思います。
ただ、アドラー心理学においては「トラウマは存在しない」というポジションを取っています。
過去と現在は、関係ない
(ここからは僕自身の解釈です。)
トラウマとは、過去のどこかの時点で起きた出来事がきっかけで、現在の自分が何かに対して恐怖などの否定的な感情を持ってしまうことですね。
しかし、過去の出来事というのは事実でしかなくて、情報でしかないです。過去の出来事によって今の自分の選択が不自由になるということはあり得ないのです。
どうも話が抽象的になるので、例を考えていきます。
例えば、高所恐怖症。
小さい頃に崖とか橋から落ちてケガをしたとか、溺れそうになったとか、恐怖体験をしたら、もしかするとそれがトラウマになってしまうかもしれません。
その恐怖体験から時間が経過したあとでも、高い場所にきたときに、過去の出来事を思い出してしまい、また怖いと思ってしまうのです。
すごく自然な話だし、納得感もあると思います。
しかし、過去と現在は別です。
小さい頃に高い場所から落ちたことがあったとしても、今は身体能力は上がっているからケガをしないかもしれないし、そもそもちょっと注意すれば、落ちることなどないでしょう。
要は、過去の出来事・記憶を肥大化させて、必要以上に恐れているだけなのです。
過去は過去として、これからどうするかは「現在の自分」が選択できる
高所恐怖症の人はバンジージャンプを跳べないか?
と考えると、とても難しいですし、強要してはいけないとは思いますが、不可能ではないのではないでしょうか。
精神的に難しくても、物理的には可能なはずです。
…というような、ある意味残酷なことを言っているのが、この「トラウマは存在しない」という考え方です。
過去にどのような体験があったとしても、現在の自分が今目の前のことを選択するときには、それは関係ないはずなのです。
教訓:行動を起こせない理由が「過去」であれば、対策の余地はある
さて、ここから得られる教訓はなんでしょうか?
それは、行動を起こせない理由が「過去」であれば、対策の余地はあるということです。
時代は変わり、環境は変わり、自分の状態も変わっているはずです。
「前回ダメだった」ことは、「今回もダメである」ということの証明にはなりません。
選択するのは自由
いかがでしたでしょうか。
「過去に囚われている」のは、いわゆるトラウマのようなものかもしれませんし、程度によってはコンフォートゾーンに縋っているだけかもしれません。
いずれにせよ、過去のしがらみを抜けて新たな一歩を踏み出すという選択をすることは、誰しもが取り得ることができる、ということを心に留めておくといいかもしれません。
安心空間であるコンフォートゾーンを抜け出し、知らない世界を開拓するには?
それでは。
チャイフ
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