こんにちは、チャイフ(@chaif123)です。
習慣。
これを聞いて何をイメージするでしょうか。
具体レベルでは、早寝早起き、読書、散歩、筋トレ、などなど続けるのが難しい習慣たちを思い浮かべる方も多いのではないでしょうか。
あるいは抽象レベルでは、シンプルに「無意識」もしくは「継続」を連想する方が多いと思います。いろいろな定義がありますが、実際にこの「無意識」と「継続」の2つの要素を合わせ持った行動のことを習慣と呼ばれます。
ここの「継続」に思い込みが潜んでいると、僕は思うのです。それは「途切れたら終わり」という思い込みです。「1日でも途切れたらゲームオーバー」なんて誰も言ってないのに、どこかでそう思ってしまっている人が多いように思います。
今回、僕が主張したいことは「習慣はいつでも再開すればよろしい」ということです。つまり、途中で挫折、中断、休止期間があってもよいのです。詳しく説明していきます。
それでは!
Contents
「習慣」というものに対して勘違いしている人が多いと思う
冒頭でも述べた通り、習慣というのは必ずしもずっと途切れず継続する必要はないのです。
ですが、例えば誰かのプロフィール等で「早起きを習慣にしていて、5年間続けている」というのを見ると、直感的に「1年365日毎日欠かさず、それを5年間1826日間継続した」というような気がしてしまいませんか?そんなわけないんですよ。いやそういう人もコーナーケースとして存在するかもしれないですがそれはどうでもよくて。
「習慣」とは「その意識がベースラインになっていて、なんとなく続いている」くらいの認識でいいんです。まずは習慣に対する意識を緩めるところから始めましょう。
なぜ「1日でも途切れたらゲームオーバー」と解釈してしまうのか
習慣は、断続的でいい。いつでも再開すればいい。
しかし、なぜつい「1日でも途切れたらゲームオーバー」と解釈してしまうのか、そこに潜む心理には大きく3つ考えられます。
完璧主義
1つ目は、完璧主義であるパターン。100点を取りに行こうとしてしまうイメージです。
「自分が完璧である」という状態がモチベーションの条件になっていて、習慣が継続している間は高いモチベーションで続けられますが、何かの事情で一度でも途切れてしまうと、まるで「すべてが無駄だった」というような極端な解釈をしてしまうパターンです。
自己効力感が低い
2つ目は、自己効力感が低いパターン。
実際には習慣は断続的でよくて途切れていいモノなんですけど、「途切れる=失敗」と捉え、自分の能力や意思の弱さを証明するものとして捉えてしまう心理です。1つの失敗経験を取り上げて、過去の失敗経験を強化してしまう。
人間には誰しも信念というものがあります。信念には、自分が信じるものは自分が信じる通りであってほしい、という願いがあります。それは外に向くときもあれば、自分に向くときもあります。厄介なことに、自分に対してのネガティブな信念に対してもこれが発動してしまうことがあるのです。
つまり、「自分は習慣を継続するのが苦手なんだな」と決めてしまうと、それを裏付けるように解釈を捻じ曲げてしまうのです。これは非常に厄介です。
再開しない理由にしている
3つ目は、再開しない理由にしているパターンです。2つ目とやや重複していますが、ご了承ください。
歩き続けているときに踏み出す一歩にはそれほどエネルギーを必要としないですが、一度座ってしまうと一歩を踏み出すためにまず立ち上がるところで多くのエネルギーを必要とします。それと同じように、途切れてしまった習慣を再開するのは、続いている状態よりも面倒なのです。
それが面倒だから、「1日でも途切れたらゲームオーバー」ということにして、再開しない理由にしている、ということはありがちです。
途切れた習慣を再開するための考え方
途切れた習慣はいつでも再開すればよろしい、というのが僕の主張ですが、それを実践するための考え方を具体的に4つ提示しましょう。
「自分は習慣化が得意である」と決める
1つ目は、「自分は習慣化が得意である」と決めることです。「『また』ダメだった」に対するどストレートな対策です。
「決める」というよりは、「意図的に勘違いする」というほうがニュアンスが近いです。
こういうのはね、言ったもん勝ち・名乗ったもん勝ちなんですよ。自分で自分に暗示をかけるようなイメージです。
とはいえ「自分は習慣化が得意である」なんて、言うのけっこうビビりますよね。もし「得意」なんて言った手前、もっと得意な人(?)が現れたら、カッコ悪いじゃないですか。ああ、こわいこわい。
さてさて、とはいえシンプルに「決める」ができる人はいいですが、何かしら根拠は欲しいものですよね。その根拠としてオススメしたいのが、マジでどうでもいい小さなプチ習慣を続けることです。
逆に「早寝早起き」なんて変数が多すぎる激ムズ習慣のTOP1です。ほとんどの人がコンスタントに継続できないことは目に見えています。それで「得意」と自認するのはなかなかハードルが高いですからやめておきましょう。まずは、しょーもないプチ習慣から始めて、「やることによっては、続けること自体はできるんだ」とセルフイメージを刷新することを狙います。
- 朝、コップ1杯の水を飲む
- 服を着るときに1回肩を回す
- エレベーターを待ちながら1回深呼吸する
- スマホを長時間見ているなと思ったら、スマホを1分間だけ置いて、ぼーっとする
- 立ち上がるときに、机やテーブルの一部をさっと拭く
- カレンダーや手帳を1日1回開くだけする
- お湯を沸くのを待つ間に、指や手を軽くストレッチする
- テレビや動画を見る前に、背筋を伸ばす
- お皿を洗うときに、水温を感じてみる
- 寝る前に深呼吸を1回する
「え!?こんなのを習慣と呼んでいいの?」って思いましたか?言ったもん勝ちですよ。誰が決めるわけでもありませんから。
ただ1つ注意しておきたいのが、ここに挙げたようなしょーもないプチ習慣ですら続けるのはそこそこ難しい、ということです。たとえ2秒で終わることでも、忙しかったり疲れていると、人間はサボりたくなるものです。
これこそ「失敗しても再開していい」ですし、「1週間でも継続できたら大したものだ」という期待値を持っておきましょう。
「全てか無か」という思考を手放す
2つ目は、「全てか無か」という思考を手放すことです。「100点じゃなかったら0点も同じ」という思考とも言えます。
そうではなく、完璧に続けることよりも「継続した総量」に焦点を当ててみましょう。
習慣の継続なんて、極端に言えば死ぬまで続く、長い長いマラソンみたいなもんです。その習慣を完全にマスターしたランナーならまだしも、「やってみよう」で小さく始めた習慣で、47.195kmをずっと走り続けるのを目指すっていうのがそもそもハードルが高すぎるんです。
歩いていいんです。休んでいいんです。また進んでみようと思えたときに走り始めたらいいんです。
「再開することの価値」を認識する
3つ目は、「再開することの価値」を認識することです。再開することも含めて習慣の重要な一部であると捉えましょう。
人生はいついかなるときも「これからどうするか」のみが重要です。一度途切れてしまった習慣を「再開する勇気」や「再開できる力」も自分の成長と捉えてみましょう。
「途切れた=失敗」ではなく、「途切れても再開した=成功」に意識を変えてみる。そうすれば、習慣というものが違って見えてくると思います。
再開は「小さく始める」
4つ目は、再開は「小さく始める」ことです。
同じ習慣でも、続いているときよりも再開するときの方が心理的なハードルは高くなります。なので、行動のハードルを下げましょう。
仮に、読書週間が中断したとします。続いていた頃には毎日10ページくらい進められていたのだとしたら、ついつい「前は10ページできてたから10ページくらいはやりたい」と思ってしまいがちです。しかしそうではなく、再開する時には「1ページ」とか「本を開くだけ」とかにしてみるのです。「再開できた」という実感を得ることで、再びモチベーションを取り戻しやすくなります。
三日坊主なんて言葉は無視して四日目を始めよう
最後に、明確なアクションプランです。「明日から再開する」です。
再開したい習慣はありますか?もし、以前やっていたけど今は止まってしまっている習慣があれば、明日から再開してみましょう。ハードルは下げて始めましょう。1分でも、ワンアクションでも、5秒でもよいので、それを再開するのです。
三日坊主って言葉があるんですけど、良くないですよね。「習慣を続けるのが苦手」のラベリング、烙印を押しやすくなる言葉です。
三日でやめちゃったのは事実だとして、それがどうしたんですか。
無視して、四日目から始めてください。
それでは。
チャイフ