
こんにちは、チャイフ(@chaif123)です。


先日、大好きなボカロPである稲葉曇の記事を書いて、「そういえばこのブログ7年もやってるのにボカロの話一切してないのか?」と思い至りました。
ということで、自分が思うボカロの良さを書きたいと思います。
それでは!
Contents
ボーカロイドの歴史
ざっと、ボーカロイドの歴史について。
ボカロ。ボーカロイド。VOCALOID。
ボカロとはボーカロイド=VOCALOIDの略称で、ヤマハが開発した歌声合成技術と、その応用ソフトウェアのことを表しています。
ボカロとはなにか?いまさら聞けない、ボーカロイドの基礎知識
2007年に初音ミクがこの世に爆誕して、まもなくニコニコ動画をメインプラットフォームとしてボカロ曲が投稿され、一気に広まっていきました。
プラットフォームとしてはほぼYoutubeに移るという時代の変化はあれど、今でも数多のボカロPによりボカロ楽曲は次々と世に出され続けています。もちろん一定の世代交代はあれど、当時から現在まで一貫して作り続けている生きる伝説みたいなPも一部いて、すげぇなぁと思ったりするもんです。
そういう意味で、「現在も、ボーカロイド楽曲の市場はある」というのは事実かと思います。
ボーカロイド楽曲の市民権はそこそこ
ところで、ボーカロイド楽曲の市民権ってどのくらいあるんでしょうか。要するに知名度・普及率・世間での扱われ方みたいな話です。
かつてのニコニコという世界に収まっていた頃と比較すると、 Youtubeという一般層(?)も利用するプラットフォームのおかげもあって、一定の市民権を得てきたようには感じます。
一方で、たとえば「ボカロ曲がアニメのタイアップになる」とかがされていないことなどから、「人間のボーカルが歌唱する楽曲と『同じ』扱いはされていない」とは思います。(そもそも『同じ』を目指す必要はないんですけど。)
「ボカロ曲を日常的に聴いている」人は(おそらく)増えているが、「街で流れている」までには至っていないという印象ですね。
なので、「飲食店などにいくと有線でボカロ曲がかかっている」という日が来たら(もしかしてもう来てたりする?)、「ついに来たか…」と思うかもしれないです。笑
ちなみに、「ボカロP」と「作曲家」に明確な境界線はなくて、活動の形態はさまざまで、グラデーションがあります。
- 「ボカロPがボカロに歌わせる」は継続しているが、「人間のアーティストに楽曲を提供する」こともオファーが来ればすることもある
- 「ボカロPがボカロに歌わせる」のではなく、「人間のアーティストに楽曲を提供する」ことをメインに活動するようになった
- ボカロPが人間のアーティストとタッグのように活動(作曲担当と歌唱担当)するようになった
またもちろん、「どれが正解(目指すべきもの)」ってものでもないですけどね。
ボカロの良さはより「音楽に集中できる」こと
まぁそんなこんなでボカロの歴史と現状の市民権について前置きをしてきましたが、今回話したいのは、「ボカロの良さって何?」ということでした。
僕が思うに、ボカロの良さはより「音楽に集中できる」こと、だと思っています。
ボカロ曲に「歌が上手い」という感想は基本的に付かない
ボカロ楽曲はボカロに歌わせる際に、「調声」という工程が入ります。
メロディラインに音程を合わせるのはもちろん、音量、音量の変化、音を伸ばす程度、間、ビブラート。またあえて音程少し外して人間らしさを出すのか、ラ行を巻き舌のような発音にするのか、ブレスは入れるか、息を吸う音を入れるか、などいくらでもこだわり要素はあります。
したがって「調声が上手い」的なニュアンスで「声が良い」という感想が付くことはあります。ただ、ボカロ楽曲に歌唱の品質という意味で「歌が上手い」という感想はナンセンスでしょう。
語弊を恐れずに言うと、調声の良し悪しは本質じゃないと思うんです。
ボーカロイド楽曲の本質はあくまでも楽曲そのもの。あくまでも楽曲で勝負してるんだと思うんです。
そこに歌詞が乗って、メロディに乗せて歌をつけるときに、言語を発してもらう必要があるから、ボーカロイドがたまたま歌うだけで。
人間のボーカルが歌う楽曲はどうしても「声」「歌い方」に意識が向く

これは、あります。その歌手は1人しかいなくて、もしいくら個性を消そうとしても声や歌い方に個性は出ます。
いわば 人間のボーカルが歌う楽曲は声や歌い方の情報量が多いのです。
必然、聴いている側もその声や歌い方の個性に意識が向きます。もちろん悪いことではないですが。
ボーカロイドが歌う楽曲は「声」「歌い方」に意識が向かないので、結果的に「曲」に集中できる

これは、ないです。
「ない」というか、その推測に意味がないです。それはもちろん初音ミクだが、「その曲を初音ミクが歌っていること」がその曲の個性ではないのです。
ボーカロイドが歌う楽曲は声や歌い方の情報量が少ない(「調声」の上手/下手・魅力的かそうでないか、はあるのでゼロではない)のです。
その結果、曲に、音楽に集中できます。使われている楽器、テンポ、構成、進行、など。音楽的知識に基づいて分析できるわけじゃないですが、より集中して体感することができる気がするんです。
なので、どちらかといえば、こうです。

もちろん人間のボーカルが歌う楽曲でも、「曲の特徴から作曲者を当てる」は起こり得ますが、ボカロ曲の方が起こりやすい感覚があります。
高濃度な音楽を浴びたいならボカロ曲はおすすめ
僕が言いたかったことが伝わったかどうか怪しいのですが、伝わりましたかね?
個人的に、音楽を聴く機会は減りました。学生時代はボカロ曲も人間のボーカルが歌う楽曲(今さらだけど他に言い方ないんかコレ)もよく聴いていましたが、減りました。稲葉曇以外はボカロ曲もロクに聴かなくなって、でも音楽的老化を止めるためにも流行りの曲は意識的に追うようにしている、そんな日々です。
ただ、学生時代によく聴いていたボカロ曲は音楽としての濃度が濃かったような気がします。数々のボカロPによって全く異なる作風を浴びていた、ような感覚です。
人間に歌わせる前提じゃないぶん、遠慮なしに100%自分の個性をブチ込めるのも良い点なのかもしれないですね。攻めた楽曲にも高い確率で出会えます。
あまり聴かない人は「ボカロの声が苦手」という人もいるかもしれませんが、最近は自然な声も増えてきています。流行りのヤツからでいいので、ぜひ聴いてみてはいかがでしょうか。
もちろん稲葉曇もオススメですよ。
それでは。
チャイフ