【失敗を恐れるな】行動のネックを5つの要素に分解したら思い込みに気づけました

こんにちは、チャイフ(@chaif123)です。

僕たちは、日々行動をしています。

その中で、何か行動を起こすとき、特に何か新しいことに挑戦する際に、「する・しない」の判断が入りますよね。

その際、すぐ「する」という判断ができないときに、どんなことがネックになっているのか、ということを考えてみたところ、肉体的・精神的・社会的・空間的・経済的理由の5つに分解できる気がしました。

そして、これは「自分がどんな状況にいるのか」だったり「自分がどんな価値観を持っているのか」という分析のヒントになると思いました。参考になれば幸いです。

それでは!

「まずは何か始めてみては?」と言われたときに何かが引っかかった

先日、やりたいことが見つかったという記事を書きました。

人生初。やりたいことっぽいものがキッチリ言語化できたんで(前編)

2023.06.02

人生初。やりたいことっぽいものがキッチリ言語化できたんで(後編)

2023.06.03

それに関連して、そこに至るまでにどういうことを考えていたかとか、どういう経緯があったかをオンラインコミュニティ『OneStep』のメンバーに話してみたところ、あるフィードバックをいただきました。

コミュニティメンバー
何がやりたいかがわかってきたなら、「それっぽいもの」を実験的にやってみたらどうでしょうか?
チャイフ
むむ

アタマでは「その通りだ」と思う一方で、「じゃあ今日から始めよう!」とパッと思えない自分がいたのです。そこで、何がネックになっているのかを考えてみました。

肉体的・精神的・社会的・空間的・経済的理由

何か行動を起こすときにネックになる理由として、肉体的・精神的・社会的・空間的・経済的理由の5つに分解できる気がしました。自分の行動を推進させるためには、まずどの要素をネックに感じているのかを理解するのが第一歩になると思います。

肉体的理由

ここでいう肉体的理由とは、筋力、体力、運動神経などのフィジカル面のほか、健康状態・ストレス耐性などもこれに含まれると考えます。

例えば、やりたい仕事が現場仕事だったり長時間労働だったりで、体力面の懸念が大きく、挑戦を尻込みしてしまう、などはこれに当たります。あとは、シンプルに「年齢」を理由にしてしまう場合もこれに当たる気がしますね。

精神的理由

ここでいう精神的理由とは、一言で言えば恐怖や不安で、対象はやろうとしている行動に対してです。行動の過程や結果、そこから得られるもの、失敗するリスクをどのくらいに見積もっているかという尺度です。

「費用対効果を気にしている」とかも、「この時間が無駄になるのではないか」という恐怖や不安に帰着できます。大抵の場合、僕はこれが理由になっていることが多いです。(お金が絡んでくると「経済的理由」とも繋がってきますが)

ちなみに、「残り4つの理由をどれだけ”気にするか”」という観点もあるのですが、それを言っちゃうと全て「気持ちの問題だ」で片付けられてしまうので、一旦除外してください。笑

社会的理由

ここでいう社会的理由とは、社会的な立場のようなニュアンスですが、ほとんどイコール人間関係です。

目の前の挑戦が、自分の周囲の人間関係を変化させてしまう、特に悪化させてしまうのではないかという恐怖です。

例えば、転職する際に同僚や上司に対して恐縮したり、引っ越しをする際に親を気にしてできなかったり、新しいことを始めるにあたって友達に笑われたり馬鹿にされたりするのではと思ったりすることです。

最近ではSNSやインターネット上での”周りの目”が気になる、ということもあり得るかもしれませんね。

余談ですが、僕はよく”しがらみ”と呼んでいましたが、”しがらみ”という言葉自体が以下の意味を持っていたらしいので誤用ですね。笑

精神的な妨げや障害となって人の心にまとわりつき、思い切った行動を起こす事を躊躇させるもの。

空間的理由

ここでいう空間的理由とは、物理的な場所のことです。行動をするための場所のほか、ほとんど「住む場所」とイコールかもしれません。

例えば、海外で働きたいけど海外に住むのに抵抗がある、というのがわかりやすい例だと思います。あるいは「住む場所が都会だと人が多くてイヤ」とか逆に「住む場所が田舎だと不便でイヤ」とかもあり得ますね。

もちろん社会的理由や経済的理由も絡んでくるとは思いますが、第一に「場所に対して懸念がある」場合はこれに分類しちゃっていいと思います。

経済的理由

ここでいう経済的理由とは…いうまでもないですね。お金です。資本主義経済においては、ほとんどどんなことをするにもお金が必要になります。お金が理由でやりたいことができない、ということは多くの人にとって普遍的な悩みでしょう。

ちなみに、お金は移動手段や住空間と交換できるので、空間的理由と密接に関係があります。またお金はあらゆるものと交換するための契約であり、みんなが信じているからこそ成立している信仰なので、社会的理由とも密接に関係しています。

「お金は信仰である」という話の詳細は『サピエンス全史』を書いたユヴァル・ノア・ハラリさんのTEDを聴くのが早いので、ぜひ。15分くらいの動画です。

「スキル不足」は?

6つ目の理由として、「スキル不足」もあるのでは?と一瞬考えましたが、スキルとは経験によって身につくものであるので、基本的にやらない理由になり得ないなという結論を出しました。やりたい事のために足りないスキルがあるなら、「どうすればスキルを向上させられるか」を考える方が建設的です。

例えば「週刊誌に連載できるような漫画家になりたい」ために「画力」というスキルが足りない場合に、「じゃあ漫画家は諦めよう」となるのは少し違和感がありませんか?その場合は、イラストの教本を読んでみたり、イラストの練習をしてみたり、レベルアップしていけばプロのアシスタントをやってみたりなどできることはあります。

例えば「エンジニアになりたい」ためにプログラミングの教材にチャレンジしてみたり、スクールを受講してみたり。

ゴールに対して”今の”スキルでは足りない、ということであれば、勉強していけばいいのです。簡単にできないこと、得意ではないことをやるのはストレスですが、いわば筋トレに伴う筋肉痛のようなものです。良いストレスであり、後から必ず身につくものだと信じて、トライしてみるのが良さそうです。

「失敗してもいい」と考える

いかがでしたでしょうか。

繰り返しになりますが、僕の場合は、肉体的・社会的・空間的・経済的理由がクリアできても、最後に精神的理由が立ちはだかります。

例えば友達が失敗を怖がって挑戦しないでいるなら、僕はおそらく「失敗しても得られるものがあるはずだから、挑戦してみたら?」と声をかけると思います。しかし、いざ自分のことになると「失敗が怖い」と思ってしまうのです。理屈通りには思えないもんですね。笑

「失敗するのが怖い」という感情は、実は「失敗しないのが正義」「失敗するのは悪」という思い込み・前提条件に立っているということで、それに気づけるかどうかだと最近思いました。

「失敗する」ということに慣れていないのかもしれません。失敗して失敗して失敗して、それらを笑い飛ばし、その上で何かを掴めて、その過去を「これでよかったんだ」と思い直すことができたら、次の未来での失敗を恐れずに済むようになるかもしれません。

これもトレーニングですね。

それでは。

チャイフ

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